★★ きょうの謎!
その謎1:「優雲波羅華の如く、又一眼の亀の浮木の孔に値えるが如し」とはどういう喩え
でしょう?
その謎2:佛にはどうして思い通りにも偶然にも会うことが難しいのでしょう?
■■第7-27日 Vol.195
佛には値いたてまつること得難し
【妙荘厳王本事品第二十七】
(四十一~四十七行)
■■今日の一偈一句
ハハスナワ ツ イ ナンジ シュッケ ユル ユエ イカ ホトケ ア カタ
母即ち告げて言わく、汝が出家を聽す。所以は何ん、佛には値いたてまつること難
ユエ ココ ニ シ ブモ モウ モウ ゼンザイブモ ネガ トキ ウンライオンシュクオウケ
きが故に。是に二子、父母に申して言さく、善哉父母、願わくは時に雲雷音宿王華
チブツ トコロ オウケイ シンゴン クヨウ ユ エ イカ ホトケ ア
智佛の所に往詣して、親覲し供養したまえ。所以は何ん、佛には値いたてまつるこ
エガタ ウ ドンバラケ ゴト マタ ゲン カメ ウキギ アナ ア ゴト シカ ワレラ
と得難し、優曇波羅華の如く、又一眼の亀の浮木の孔に値えるが如し。而るに我等、
シュクフクジンコウ ブッポウウマ ア コ ユエ ブモ マサ ワレラ ユル シュッケ
宿福深厚にして佛法に生れ値えり。是の故に父母、當に我等を聽して出家すること
エ ユ エ イカ ショブツ ア ガタ トキ マタア
を得せしめたもうべし。所以は何ん、諸佛には値いたてまつり難し、時にも亦遇う
カタ
こと難し。
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1. 今 日 の 解 読 ! (苦)
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母は二子の偈を聞いて直ちに告げて言わく、汝らの出家を聴き入れましょう。なぜな
らば、佛には御逢いできることが滅多にないと言うからです。これにより二子は、父
と母に申して言さく、ありがとうございます父母上様、願わくは早いうちに雲雷音宿
王華智佛の所に参詣に行って来て、親しくお目にかかり供養をなさってください。そ
の理由は、佛には御逢いできることは滅多にないことであり、優曇波羅の花を見れる
がごとく、又一眼の亀の浮木の穴に又とないひらめきを知るが如し。そのように我等
も、宿福にも極めて深く手厚いこの佛法に生まれ逢わせていただけたのでありましょ
う。このように父母上様は、まさに我等を聴き入れて出家することを適えさせてくれ
たに違いありません。なぜならば、諸佛には御逢いするように心がけても難しいこと
であり、時たまにも稀にまた遇うことも難しいことだからです。
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2. 今 日 の 説 法 ! (集)
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前回まで、二子は母に言われた通りに父の王へ修行成果の神變の技を披露し、それに
より王は感動し雲雷音宿王華智佛の所へ一緒に行くと言い出しました。
そして、さっそく二子は雲雷音宿王華智佛の所へ仕えるため出家させてほしいと母へ
願い出ました。
今回は二子の願いを聞いた母は、ついにその出家の願いを聴き入れることにしました。
それは二子の言う通り、佛には滅多に逢うことができないからということに対し尤も
のことだと同意したのでした。
二子は喜び、父母に対し感謝の念を示すとともに、これから本格的に雲雷音宿王華智
佛の所へ参詣し親近して供養なさるようにと進言しました。
この、佛に会いに行けるということはとても珍奇なことであり、優雲波羅の花の咲く
如く、また一眼の亀の浮き木の穴に奇遇するような貴重で稀なことであると喩え、そ
れと同じように二子は、幸いにも偶然恵まれてこの佛法に生まれ巡り合いを持たせて
いただいたのだと説明しました。
そしてその奇遇な意味からも父母は出家を聴き入れ出家を許し得てくれたのだと言っ
て、二子はその恩恵に感謝を示しました。
そしてこれらのことは、諸佛にはどんなに心がけても会うことは難しく、また時たま
の偶然に遇うことも難しいためであると二子は念を入れて伝えたのでした。
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3. 今 日 の 謎 ! (滅)
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まず、今日の謎を整理して見ることにしましょう!
その謎1:「優雲波羅華の如く、又一眼の亀の浮木の孔に値えるが如し」とはどうい
う喩えでしょう?
その謎2:佛にはどうして思い通りにも偶然にも会うことが難しいのでしょう?
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ぶっけん成安田 (月曜日, 27 11月 2017 11:09)
一眼の亀が川面に流れてくる浮き木の穴にハッと悟りを気付くというようなことは極めて滅多にない珍しいことの喩えのようです。
さて、一眼の亀は一体何を悟ったのでしょう?
それと同じくらいに私たちが直に信頼の仏様に巡り合えるということはかなり珍しい体験であるように法華経では書かれています。
たとえば川面に流れ着く遺体のことを仏が上がったと言うことがあると思いますが、仏教では遺体が即ち仏様ということではないのです。
死んだ人がいずれ仏様になれる可能性があるというだけです。
しかし、それは極めて稀なのです。
また、生き仏とは、お釈迦様のように仏様のままにこの世に生まれてくる人を言います。
仏様の数は無数に存在すると言われていますが、私たちの周りにも生き仏は居るかもしれません。
しかし、通常私たちは一生涯のうちにも滅多に巡り会うことのできないのが生き仏であるそうです。
(ぶっけん 成安田)