★★ きょうの謎!
その謎1:経典の教え方としては、如来自身のことだけでなく他の者や事柄も示していると
いう意味はこの経典は如来の教えだけではないということでしょうか?
その謎2:「實に非ず、虚に非ず、如に非ず、異に非ず、三界の三界を見るが如くならず」
とある四つの非ずとは「罪」という字に関係があるでしょうか?
■■第7-16日 Vol.184
如來の演ぶる所の經典は
【如来寿量品第十六】
(三十四~四十行)
■■今日の一偈一句
モロモロ ゼンナンシ ニョライ ノ トコロ キョウデン ミナシュジョウドダツ タメ アルイ コシン
諸 の善男子、如來の演ぶる所の經典は、皆衆生を度脱せんが爲なり。或は己身を
ト アルイ タシン ト アルイ コシン シメ アルイ タシン シメ アルイ コジ シメ アルイ
説き、或は他身を説き、或は己身を示し、或は他身を示し、或は己事を示し、或は
タジ シメ モロモロ ゴンセツ トコロ ミナジツ ムナ ユ エ イカ ニョライ ニョジツ
他事を示す。諸 の言説する所は皆實にして虚しからず。所以は何ん、如來は如實
ガイ ソウ チケン ショウジ モ タイ モ シュツ マタザイセオヨ メツド
に三界の相を知見す。生死の若しは退、若しは出あることなく、亦在世及び滅度の
モノ ジツ アラ コ アラ ニョ アラ イ アラ ガイ ガイ ミ ゴト
者なし。實に非ず、虚に非ず、如に非ず、異に非ず、三界の三界を見るが如くなら
カク ゴト ジニョライアキラ ミ シャクミョウ
ず。斯の如きの事、如來明かに見て錯謬あることなし。
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1. 今 日 の 解 読 ! (苦)
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諸々の善男子よ、如來の演説する所の經典は、すべて衆生を度脱(どだつ:悟りに導
く)させるがためである。或時は己の立場を説き、或時は他の立場を説き、或時は己
の立場を示し、或時は他の立場を示し、また或時は己の事を示し、或時は他の事を示
す。これら諸々の言説する所はすべて真実であり虚であってはならない。なぜかとい
えば、如來は如實(にょじつ:ありのまま)に三界の相を知見できるからである。生
死のどちらが退くなのか、どちらが出るなのかは区分あることなく、また在世する及
び滅度する者の区分はなし。實に非ず、虚に非ず、如(にょ:何かの様・似ている
様・ごとし)に非ず、異に非ず、三界の者が三界を見るが如くではない。このような
事を、如來は明かに見て錯謬(しゃくみょう:まちがえること・あやまち)あること
はない。
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2. 今 日 の 説 法 ! (集)
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今日の経文の始めに書かれている、「如来の演ぶる所の経典」というのはとても重要
な意味があります。
これは、如来が自身のやり方で説法を宣説することとは異なり、この法華経の経典を
演説するということにあるのです。
演説するとは聞き手に上手くわかりやすく演出を用いて解説するということですね。
ですから、如来がただワンマンにして一方的に命じたり主張する宣説とは違うという
ことです。
つまり、最高に完成された高度な教科書である法華経を学習の第一に沿え、その法華
経を習得させたいために如来が教師となって代理で教えているということです。
そして、その法華経をなぜ教えるかといえば、すべての衆生を度脱、つまり悟りへ導
きたいからということであり、法華経を知ることが悟りへの道なのでしょう。
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その法華経の教え方としては、如来自身の立場を説明することもあれば、他の立場を
説明することもあるし、また如来自身がその姿を現すこともあれば、他の姿を現すこ
ともあるし、あるいは如来自身の出来事を現すこともあれば、如来以外の出来事を現
すこともあるということです。
そして、如来が諸々の言葉で説明するところはすべて真実であり虚ではない。その理
由は、如来はあるがままにそのままこの三界の本質を見抜くことが出来るからです。
この三界において生きる死ぬという概念にそのどちらが退きか、それとも出て行くの
かの区分は無く、またこの世に残る者と滅度する者との違いも無いのです。
これらの説明は、真実では有り得ず、虚でも有り得ず、何かの様でも有り得ず、異な
っているものでも有り得ない、三界の者がそのまま三界を見る実感とは違うのです。
このような事は、如来が明瞭に観察していてまちがいはないのです。
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3. 今 日 の 謎 ! (滅)
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その謎1:経典の教え方としては、如来自身のことだけでなく他の者や事柄も示して
いるという意味はこの経典は如来の教えだけではないということでしょう
か?
その謎2:「實に非ず、虚に非ず、如に非ず、異に非ず、三界の三界を見るが如くな
らず」とある四つの非ずとは「罪」という字に関係があるでしょうか?
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安田 和正 (土曜日, 15 11月 2014 23:50)
私たちが通常する判断はそのようにどちらのケースも同時に保留して同時に考えることが精神状態を円滑にしている、もっとも頭脳や身体のバランスを保ちやすい、良好に活性化された状態といえます。
ぶっけん成安田 (木曜日, 16 11月 2017 08:37)
真実に非ず、嘘でも非ず、何かの様でも非ず、全く異なるようでも非ず・・
このように何かが違うはずだが、しかしなぜか合っている・・
あ~でもないこ~でもない、しかし何か選択あるのみ・・それで何とかなるようだ。
このように日々複合した疑問を何とか活性化させて回答を得ていくためには、毎日を同じ一つの事柄だけに集中して磨き続けるよりも、それに似た同じ地道手段のようでも満遍なく学校の五教科を日々ランダムに、そして順番に繰り返すことのほうが最も答えが早くすっきり出てくるように思う。
これは日々取得する栄養バランスに似ている。
(ぶっけん 成安田)