第6-28日 Vol.168  三七日の中に於て一心に 【普賢菩薩勧発品第二十八】(二十九~三十六行)


 ★★ きょうの謎!
 
その謎1:「後の世の後の五百歳濁悪世」とは、その年代をどのように解釈したらよろしい

     のでしょう?
   
その謎2:普賢菩薩は、釈迦滅後の世の中が変化していく経過に応じて段階的に説いている

     ということでしょうか?
 
 
■■第6-28日 Vol.168

 

 三七日の中に於て一心に
 
  【普賢菩薩勧発品第二十八】
   (二十九~三十六行)

 

■■今日の一偈一句
  
 セソン  モ ノチ  ヨ ノチ  サイジョクアクセ ナカ  ビク  ビクニ  ウバソク ウバイ  グ
 世尊、若し後の世の後の五百歳濁惡世の中に、比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の求
 
 シャク  モノ ジュジ モノ ドクジュ モノ ショシャ  モノ コ  ホケキョウ シュシュウ  ホッ
 索せん者、受持せん者、讀誦せん者、書寫せん者、是の法華經を修習せんと欲せば、
 
   ニチ ナカ オイ  シン ショウジン     ニチ マン オワ    ワレマサ  ゲ ビャクゾウ
 三七日の中に於て一心に精進すべし。三七日を滿じ已らんに、我當に六牙の白象に
 
 ノ    ムリョウ ボサツ シカミズカ イニョウ    サイシュジョウ ミ  ネガ     ミ モッ
 乗つて、無量の菩薩の而も自ら圍繞せると、一切衆生の見んと憙うところの身を以
 
  ソ  ヒト マエ ゲン  タメ ホウ ト   ジキョウリキ    マタマタソ   ダラニシュ アタ
 て其の人の前に現じて、爲に法を説いて示敎利喜すべし。亦復其れに陀羅尼呪を與
 
    コ  ダラニ  エ  ユエ  ヒニン  ヨ ハ エ  モノ    ナ   マタニョニン
 えん。是の陀羅尼を得るが故に、非人の能く破壊する者あること無けん。亦女人に
 
 ワクラン     ワ  ミマタミズカツネ コ  ヒト マモ
 惑亂せられじ。我が身亦自ら常に是の人を護らん。

 
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  1. 今 日 の 解 読 !  (苦)
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世尊、もし如来滅後の世のさらにその後の五百歳が到来する濁悪世の中に、出家の比
 
丘・比丘尼・そして在家の優婆塞・優婆夷の法華経を求索する者、受持する者、読誦
 
する者、書写する者、それらがこの法華経を修習したいと望めば、二十一日の内に於
 
て一心に精進を心がけることです。その二十一日を満了した時、我はまさに六牙の白
 
象に乗って、無量の菩薩と共にしかも彼ら自らが圍繞する状態で、一切衆生の見たい
 
と願い求めるであろう身をもってその人の前に出現して、歓喜させるためにこの法を
 
説いて示教利喜(じきょうりき:示し、鼓舞し、完成せしめ、喜ばしめること)いた
 
します。そしてまたさらにそれらに陀羅尼呪を与えるのです。この陀羅尼を得るが故
 
に、非人のように激しく破壊攻撃をする者が出てくるようなことはないのです。また
 
女人に惑乱されることもありません。我が身をもってまた自ら常にこの人を護るので
 
あります。
 
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  2. 今 日 の 説 法 !  (集)
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前回までにこの普賢菩薩勸發品において普賢菩薩は、第一に如来滅後の五百歳濁悪世
の中で法華経の経典を受持することがある者に対しては、その者に嫌がらせを仕掛け
る魔民やさまざまな非人の攻撃から守って安穏ならしめることを誓い、そしてまた、
この法華経をおぼろげなりに立ちながらも読誦し、若しくは法華経の難しさに困惑し
ている者があれば、その所へ普賢菩薩は六牙の白象王に乗って大菩薩衆と共に自ら身
を出現させ、供養して守護してその者の心を安らかに慰め、法華経を共に読誦してあ
げ、通利してあげると誓い、またその普賢菩薩を見て大歓喜して精進した者は三昧及
び陀羅尼を得ることが出来ると釈迦へ説いていました。
 
そして、どういうわけか今回もまた、まったく同じようなことを説いているようなの
です。
ただ少し違うようであるのは、同じように普賢菩薩が菩薩衆と共に現れるのが、後の
世のさらに後の五百歳の時の濁悪世であるということらしいのです。
つまり、前回までが単に後の五百歳濁悪世であることに対し今回はさらにその後の五
百歳濁悪世という意味だと考えられるのです。
 
そして今回は、前回までのように単に法華経を受持・読誦する者というだけでなく、
特に比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の者であって、法華経を求め、受持し、読誦し、
そしてさらに書写までして実際に法華経を詳しく修習する者を対象にしていることが、
実は前回までに比較して進歩しているようです。
 
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すなわち、比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷とはつい先日説明した出家者と在家者との
区分のある見習い僧侶レベルの修行者のことですね。
ですから、前回までの思い付きの修行者段階から、さらに五百歳経過した後に対する
今回ではそれだけ修行者の進歩が認められる時代に進んでいるということになるのか
もしれません。
 
そしてさらに前回までとの違いは、三七日の中、つまり二十一日の中で一心に精進を
達成すれば、その者に対して二十一日の後に普賢菩薩はまたまたこれも三度目の六牙
の白象に乗って無量の菩薩と共にその身を現すことにすると言っているのです。
つまり、ほんの僅か二十一日の短期間で精進の心を達成するべきだと説いていること
と、今回三度目の六牙の白象とは前回までの白象王ではないので普賢菩薩自身がすで
に白象王になって通常の白象に乗ってくるという、つまりはその頃には普賢菩薩は六
道の王者である佛陀として成佛してやって来るという具合に進歩した未来予定を立て
ているということではないでしょうか?
 
なんだか説いている内容が妙に良いとこ取りでこじ付けに思えて、意味がまとまって
ない感じですが、今回もまた、普賢菩薩はその者たちへ陀羅尼を与えて救済せしめる
そうなのです。
それにしてもこの普賢菩薩はとても陀羅尼が好きなようですね、そして陀羅尼とは救
済法としては結構無難で持ちも良く、調法で便利に使えるのでしょうかね?
 
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  3. 今 日 の 謎 !   (滅)
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まず、今日の謎を整理して見ることにしましょう!
   
その謎1:「後の世の後の五百歳濁悪世」とは、その年代をどのように解釈したらよ
     ろしいのでしょう?
   
その謎2:普賢菩薩は、釈迦滅後の世の中が変化していく経過に応じて段階的に説い
     ているということでしょうか?
 
 


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6-28

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コメント: 6
  • #1

    ぶっけん (金曜日, 28 10月 2016 00:20)

    修行として「書く」という事は、或いは他人に対し「書かせ」て修行させることも含まれるという事。
    すなわち、「書写」以外の「受持」「読誦」「説法」は自発的のみの修行。

  • #2

    ぶっけん成安田 (土曜日, 28 10月 2017 10:48)

    法華経の最終章である普賢菩薩勧発品第二十八では陀羅尼を最大にアピールして解決を図ろうとしています。
    陀羅尼を将来対策への最強アイテムとして修行者たちが選んだ最終的な答えだったようです

    ところで陀羅尼とは何なのでしょう?
    様々なものが混じり合ったままに混沌とした中でこそ真実を探し出そうといった闇雲な努力といった感じがあります
    結局のところは釈迦の説法の詳細は修行者たちには難しすぎて、真実を得るチャンスとは障害物あって当然の競争を余儀なくする戦いが待ち受けているのが遠い将来であるという結論だったようです
     
    そのためにこの世のパラダイスを先に与えておき、将来の脅威に挑ませる気迫をセットさせておくのが釈迦の教えだったのかもしれません
    今を楽しんでおきましょう!
     
    (ぶっけん成安田)

  • #3

    ぶっけん (土曜日, 28 10月 2017 11:02)

    ただ、釈迦牟尼仏だけは忘れるな!を釈迦は最終的に言っておきたかった、それがとても印象に残ります

  • #4

    ぶっけん成安田 (金曜日, 29 6月 2018 17:49)

    代理人経営なら店ではなく事務所なのだ

  • #5

    ぶっけん成安田 (金曜日, 13 7月 2018 17:31)

    私は一年の中で今の時期が一番好きです!

  • #6

    ぶっけん成安田 (金曜日, 13 7月 2018 17:32)

    公共と民間の関係は人間としての信頼関係ではない。しかし、公共に対し人間的な信頼関係を要求する権利は民間人にはある。公共と民間が必ず各々法律を挟んで要求をしなければならないとする義務は特にないはずだ。書類のみでしか受け付けないとする公共はすべて偽物だ。人間的なコミュニケーションが失われればもはや公共も失われるだろう。