★★ きょうの謎!
その謎1:比較して功徳が少ないという五波羅蜜とは何でしょう?
その謎2:この處あることなけん、の處とはどういう意味でしょうか?
■■第6-17日 Vol.157
乃至能く一念の信解を生ぜば
【分別功徳品第十七】
(四十九行~五十七行)
■■今日の一偈一句
ソ トキ ホトケ ミロクボサツ マカサツ ツ アイッタ ソ シュジョウ ホトケジュミョウ
爾の時に佛、彌勒菩薩摩訶薩に告げたまわく、阿逸多、其れ衆生あつて、佛の壽命
ジョウオンカクゴト キ ナイシ ヨ ネン シンゲ ショウ ショトク クドクゲンリョウ
の長遠是の如くなるを聞いて、乃至能く一念の信解を生ぜば、所得の功徳限量ある
モ ゼンナンシ ゼンニョニン アノク タラ ミャク ボダイ タメ ユエ マン
ことなけん。若し善男子・善女人あつて、阿耨多羅三藐三菩提の爲の故に、八十萬
ノクナユタ コウ オイ ハラミツ ギョウ ダンバラミツ シラ ハラミツ センダイハラミツ ビリ ヤ
億那由他劫に於て五波羅蜜を行ぜん。檀波羅蜜・尸羅波羅蜜・羶提波羅蜜・毘黎耶
ハ ラミツ ゼンバラミツ ハンニャハ ラミツ ノゾ コ クドク モッ マエ クドク クラ
波羅蜜・禪波羅蜜なり、般若波羅蜜をば除く。是の功徳を以て前の功徳に比ぶるに、
ブン ブン マンノクブン ソ オヨ ナイシサンジュ ヒ ユ シ アタ
百分・千分・百千萬億分にして其の一にも及ばず。乃至算數・譬喩も知ること能わ
トコロ モ ゼンナンシ カク ゴト クドク アノクタ ラ ミャクボダイ オイ タイ
ざる所なり。若し善男子、是の如き功徳あつて、阿耨多羅三藐三菩提に於て退すと
コ コトワリ
いわば、是の處 あることなけん。
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1. 今 日 の 解 読 ! (苦)
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その時に佛は、弥勒菩薩摩訶薩に告げられた、阿逸多(あいった:弥勒菩薩の別名)
よ、まず衆生が居て、佛の寿命の長遠がこのとおりであることを聞いて、たとえ僅か
でも心から一念の信解を生じるならば、その得る所の功徳には限量があることはない
のである。もし善男子・善女人が居て、阿耨多羅三藐三菩提を得るが為の故に、八十
万億那由他劫の間に於いて五波羅蜜を行じたとしよう。それは檀波羅蜜・尸羅波羅
蜜・羶提波羅蜜・毘黎耶波羅蜜・禪波羅蜜のことである、そして般若波羅蜜に関して
は除外である。この五波羅蜜の功徳を対照に前の佛の寿命の長遠であることを聞く功
徳に比較するに、百分・千分・百千万億分に対してその一にも及ばないのだ。たとえ
算術数字・比喩言語であっても知ることは不可能な所である。もし善男子よ、これほ
どの功徳があって、阿耨多羅三藐三菩提を求めよう段階で退くと言うのであれば、こ
の釈迦の處にあるはずはない。
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2. 今 日 の 説 法 ! (集)
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この品は前品の壽量品にて如来の寿命は長遠なる説法を聞いたことにより大衆は浮か
れ喜びのままに大歓喜を起こした様子が前回までに描かれていましたね。
そして今回は前回、弥勒菩薩がお礼に説いた偈頌の後に釈迦は、弥勒菩薩、つまり阿
逸多へこの佛の寿命長遠なる説法の功徳がいかに大きいものであるかを五波羅蜜を修
行した功徳の場合と比較して教えました。
なお、ここでも弥勒のことを釈迦は阿逸多と呼んでいますが、阿逸多とはやはり姨母
の驕曇弥などと同じく身内関係にある意味と考えられますし、また、他方から来た菩
薩ということにはなっていますが、これは姨母たちが觀持品の時に他方の国土へ行く
と言い出し、それに付随して一緒に出て行ったグループに弥勒も混じって居たのかも
しれないですね。
そして、釈迦は弥勒に対し五波羅蜜の修行の功徳の大きさを例題にあげていますが、
五波羅蜜とはそれにあと般若波羅蜜を加えると六波羅蜜になるのです。
その六波羅蜜とは、実は釈迦が後の提婆達多になった仙人から伝授された修行法の一
つだったことが提婆達多品第十二には記されています。
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また、この六波羅蜜は日本の鎌倉幕府が取り入れた六波羅探題という京都に設置され
た武士きっての当時の佛教支配の最高権威を象徴するために治めた重要機密機構だっ
たようです。
そのように六波羅蜜は菩薩の修行の中でも極めて気高く厳しい修練を潜らなければ達
成できないくらい定番最高峰の修行実践法だったようです。
しかし、そのうちの般若波羅蜜を除く五波羅蜜を達成する功徳とは、佛の寿命長遠の
説法を聞くことの功徳の大きさに対し百分、乃至百千万億分の一にも満たないと釈迦
は提言しています。
つまり、それほど釈迦の説法には大きな功徳があることを知って、それであってもな
お、阿耨多羅三藐三菩提を目指す気が起きないとなれば、それはもはや釈迦佛の處に
あやかるはずの者ではないと、釈迦は自信たっぷりに誘導しているようです。
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3. 今 日 の 謎 ! (滅)
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まず、今日の謎を整理して見ることにしましょう!
その謎1:比較して功徳が少ないという五波羅蜜とは何でしょう?
その謎2:この處あることなけん、の處とはどういう意味でしょうか?
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ぶっけん (月曜日, 17 11月 2014 20:48)
佛とはどういう真実かを知らされることが、歓喜功徳で、法華経の共通理解度を多くと共有してみることで得れるのが隨喜功徳ということになるのではないでしょうか?
つまり、弥勒にとって必要なのは他人と自分は同じだと思える喜びを知ることだったように思えます。
そして、釈迦から見れば、それこそが弥勒らしさだったのかもしれません。
したがって、今回の釈迦の言葉、「比ぶること得べからず」とはこのことのように思えます。
ぶっけん成安田 (火曜日, 17 10月 2017 09:59)
お互いの意思の調和はあらゆることを上手く変えていくことのできる貴重な力のアイテムですね
その貴重なアイテムだからこそ、誰もがそのラッキーな環境を常に求めているのです
しかし思い描いたままに簡単には行かないわけで、そのために幾つかの方法を用いて長く辛い修行をしていると言っても過言ではないでしょう
そして、そのための修行方法も大昔から数々考案されてきているはずですから
しかし、それらの修行がすべて無駄と思えるような、比較にならないほどもっともっと効率の良い方法があるとお釈迦さまは提案しているのです
その有り難い提案が何であるか・・?
お釈迦様は幾つかの違いを分別して悟ってみよと言っているのです
何をやっても同じということはないのです
(ぶっけん成安田)