★★ きょうの謎?
その謎1:歓喜と隨喜とは、どのように違うのでしょうか?
その謎2:転教される第五十の人の隨喜には、どうして阿羅漢の地位を得ることよりも全く
計り切れないほど多くの功徳があるのでしょうか?
■■第5-18日 Vol.130
我今分明に汝に語る
【隨喜功徳品第十八】
(二十五~三十二行)
■■今日の一偈一句
ミロク ホtケ モウ モウ セソン コ ヒト クドクハナハ オオ ムリョウムヘン モ
彌勒、佛に白して言さく、世尊、是の人の功徳甚だ多くして無量無邊なり。若
コ セシュ タダシュジョウイッサイ ラクグホドコ クドクムリョウ イカ イワ ア
し是の施主、但衆生に一切の樂具を施さんすら功徳無量ならん。何に況んや阿
ラカンガ エ ホトケ ミロク ツ ワレイマフンミョウ ナンジカタ コ
羅漢果を得せしめんをや。佛、彌勒に告げたまわく、我今分明に汝に語る、是
ヒトイッサイ ラクグ モッ シヒャクマンノクアソウギ セカイ ロクシュ シュジョウホドコ マタ アラカンガ
の人一切の樂具を以て四百萬億阿僧祇の世界の六趣の衆生に施し、又阿羅漢果
エ ショトク クドク コ ダイゴジュウヒト ホケキョウ イチゲ キ ズイキ
を得せしめん。所得の功徳は是の第五十の人の法華經の一偈を聞いて隨喜せん
クドク シ ヒャクブンセンブンヒャクセンマンノクブン ソ イチ オヨ ナイシサンジュ
功徳には如かじ。百分・千分・百千萬億分にして其の一にも及ばじ。乃至算數
ヒユ シ アタ トコロ
・譬喩も知ること能わざる所なり。
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1. 今 日 の 解 読 ! (苦)
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彌勒は、佛に対して質問に答えた、世尊、この人の功徳は甚だ多くして無量無邊
でありましょう。もしこの施主が、ただ単に衆生に対しこの一切の楽具を施すこ
とすら功徳はそれだけで無量でありましょう。なぜかといえば阿羅漢果を得させ
てあげることだからです。佛は、彌勒に告げられた、我は今分明に汝に語ろう、
この人は一切の楽具を用いて四百萬億阿僧祇の世界の六趣の衆生に施し、また阿
羅漢果を得させている。この所得の功徳はこの第五十の人の法華経の一偈を聞い
て隨喜する功徳にはかなわない。百分・千分・百千萬億分にしてその一にも及ば
ないであろう。どんな算数・譬喩を用いても計り知ることはできない所である。
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2. 今 日 の 説 法 ! (集)
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前回、釈迦は弥勒菩薩(阿逸多)に対し、大施主の生涯かけて多くの衆生へ世話
をする功徳は、五十人の転教隨喜の功徳と比較して、その功徳の量は多いか否か
という質問をしましたが、それに対して、弥勒は答えました。
弥勒は、当然の如く、この大施主の残す経歴はの功徳は甚だ多いはずであり、無
量無辺でありましょうと答え、さらにこの大施主がたとえ一切の衆生に楽具だけ
を施したとしてもその功徳は無量に多いことでしょうと言いました。
それはなぜかと言えば、楽具を施すこと自体が、阿羅漢果を得させようとする大
施主の正しい思いやりによるからですと説明しました。
それに対し釈迦は弥勒へ分明に告げました。
実は、五十人転教隨喜の功徳のほうが、比べ物にならないほど多い功徳があると
いうことでした。
その功徳の差は、百倍、千倍、はたまた百千萬億倍も違うということでした。
この違いは、どんな算数計算や比喩の物語を用いても計り知れない膨大な違いだ
と説いています。
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3. 今 日 の 謎 ! (滅)
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その謎1:歓喜と隨喜とは、どのように違うのでしょう?
その謎2:転教される第五十の人の隨喜には、どうして阿羅漢の地位を得ること
よりももっと計り切れないほど多くの功徳があるのでしょう?
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