★★ きょうの謎!
その謎1:空と虚空はどう違うのでしょうか?
その謎2:顛倒によって生ずとは、何が生ずるのでしょう?
■■第5-14日 Vol.126
但因縁を以て有り、顛倒に生ず
【安楽行品第十四】
(二十七~三十二行)
■■今日の一偈一句
マタツギ ボサツマカサツ イッサイ ホウ カン クウ ニョジッソウ テンドウ ドウ
復次に菩薩摩訶薩、一切の法を觀ずるに空なり、如實相なり、顛倒せず、動ぜ
タイ テン コクウ ゴト ショウ ショウ イッサイ ゴゴン ドウタ
ず、退せず、轉ぜず、虚空の如くにして所有の性なし。一切の語言の道斷え、
ショウ シュッ キ ナ ソウ ジツ ショウ ムリョウ ムヘン ムゲ
生ぜず、出せず、起せず、名なく、相なく、實に所有なし。無量・無邊・無礙
ムショウ タダインネン モッ ア テンドウ ヨ ショウ カルガユエト ツネ ネガ カク
・無障なり。但因縁を以て有り、顛倒に從つて生ず。故に説く、常に樂つて是
ゴト ホッソウ カン コレ ボサツマカサツ ダイニ シンゴンショ ナヅ
の如き法相を觀ぜよと。是を菩薩摩訶薩の第二の親近處と名く。
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1. 今 日 の 解 読 ! (苦)
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また次に菩薩摩訶薩は、一切の法(事物)を見たり聞いたりすることは空である、
これが如実(にょじつ:ありのまま)な相(そう:表現)である、顛倒(てんど
う:誤解、俗世間の判断)せず、そのままに変動せず、退廃せず、入れ替えず、
虚空(こくう:天と地との中間)の如くにして元々の固有の性質などないことを
知るのだ。一切の言葉での表現による道は断たれ、一切の法は生ぜず、出せず、
起せず、名なく、相なく、実体に何もない。量はかり無く・大きさ限り無く・さ
またげ無く・へだて無い。一切の法は唯一因縁でのみ存在せり、顛倒によりて人
の心に生ず。かるがゆえに法を説くのだ、常に願ってこのようにして法相(ほっ
そう:諸法のありのままの姿)を見たり聞いたりせよと。これを菩薩摩訶薩の第
二の親近處と名づける。
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2. 今 日 の 説 法 ! (集)
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前回の初(はじめ)の親近處の次に、今回は第二の親近處について釈迦は文殊師
利菩薩に説明しています。
この初と第二とに区分し順序だてているのはとても意味があるようです。
初の親近處とは男子たる女人への欲相の規制でしたね。
まずそれが一佛乗としての菩薩入門の前提となる心がけや前置きなのでしょう。
このことは、仏教を信じる者の中には、男女の性欲による混乱状況をそのまま菩
薩修行に励む環境であると信ずる傾向がとても多発することがあることに対して、
それは間違いであり、一番勘違いしていると思われることへの戒めを第一に論じ
ていることと考えられるのです。
これはたとえば、婚約した男女が初夜を共に過し、その翌日には何事も無かった
ように、横たわった空っぽな心で各々がただ流れていく雲を茫然と眺めているよ
うな、そんな気抜けした感じが「空(くう)」だと思うのです。
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まるで、昨日の勸持品の混乱から、今日の安楽行品は白々とした朝を迎えたよう
な気分というところですね!
ですから、それほど爽快とはいかない、その気抜けした感じが親近處の第二なの
であり、それ以前はなんら関係は無く、何も無いのです。
何事も諸法は、空が始まりであると定義するのです。
さて、その第二の親近處について釈迦は、空として説明しています。
一切の法を正しく身に感じようとするなら、それは空であると先ず理解せよとい
うことです。
その空であるとする一切の法に接するのに、顛倒せず、つまり俗世間の考える、
法に対する誤った判断や価値観を優先に過信してはいけないということであり、
俗世間に気持ちを動かされず、堕落せず、別なものに変化させず、ただ虚空のよ
うに我が身を保つことで、元々は空とは何も無いことであると知るようになれる。
一切の言葉で表現できる道という道はすべて断絶し、一切の法とは生ぜず、出し
ゃばらず、発起せず、名前も無く、個性も無く、実体は何も無いのである。
ただ、無量・無辺・無礙・無障であるとする
ただ、唯一因縁のみが存在し、それは顛倒によって発生してくるのである。
それがために説くのである、耐えず常日頃から願って、このように法の相、つま
りありのままの諸法のあり方を見たり聞いたりせよと説くのである。
このことを、菩薩摩訶薩としての第二の親近處というのである、と釈迦は、女人
への欲相から離れる戒めの次に、この空への身の置き方を教えたのです。
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3. 今 日 の 謎 ! (滅)
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まず、今日の謎を整理して見ることにしましょう!
その謎1:空と虚空はどう違うのでしょうか?
その謎2:顛倒によって生ずとは、何が生ずるのでしょう?
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ぶっけん (土曜日, 14 5月 2016 19:12)
何でも内容な事が幸せだったと思う!(^^♪
ぶっけん成安田 (木曜日, 14 9月 2017 07:56)
【空と虚空】
仏教には空と虚空の違いが区分されてあります
「空」は気が抜けたような心がポカンと空(カラ)になったような感じです
それに対し「虚空」とは様々な異変がある中で台風の目の中のように不気味で架空ではないかと思えるほどの穏やかさではないでしょうか
その虚空の中で修行する、それが法華経前半最後のこの安楽行品第十四の結論である第一法が説かれているように思えるのです
(ぶっけん成安田)