第4-13日 Vol.97  独我が名を説きたまわず 【勧持品第十三】(二十一~二十七行)


 
★★ きょうの謎!
  
   
その謎1:

 

驕曇彌(きょうどんみ:釈迦の夷母)の一切衆生憙見佛として順々に受記することや、耶輸陀羅(やしゅだら:釈迦の妻)の漸(ようや)く仏道を具してから成仏するとはどういう意味でしょうか?
   
その謎2:

 

釈迦の驕曇弥や耶輸陀羅への授記予言の仕方は、たとえば驕曇弥には作仏国や仏の寿命は教えず、耶輸陀羅だけに善国での作仏と寿命を指定したりで、各々にいい加減で曖昧な授記儀式のように感じられ、変ではないでしょうか?
  
 
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■■第4-13日 Vol.97
   
 独我が名を説きたまわず
 
 【勧持品第十三】
 (二十一~二十七行)
 
  
■■今日の一偈一句
 
 キョウドンミ コ イッサイシュジョウキケンブツオヨロクセン ボサツ テンシ ジュキ  アノク タラサンミャクサン
 驕曇彌、是の一切衆生喜見佛及び六千の菩薩、轉次に授記して阿耨多羅三藐三
 
 ボダイ エ  ソ トキ  ラゴラ ハハ ヤシュダラ ビクニ  コ ネン ナ    セソン ジュ
 菩提を得ん。爾の時に羅候羅の母耶輸陀羅比丘尼、是の念を作さく、世尊、授
 
 キ ナカ オイ ヒトリ ワ ナ ト      ホトケ ヤシュダラ  ツ      ナンジライセ
 記の中に於て獨我が名を説きたまわず。佛、耶輸陀羅に告げたまわく、汝來世
 
 ヒャクセンマンノク ショブツホウ ナカ オイ  ボサツ ギョウシュ ダイホッシ ナ ヨウヤ ブツドウ グ
 百千萬億の諸佛の法の中に於て、菩薩の行を修し大法師と爲り漸く佛道を具し
 
   ゼンコク ナカ オイ マサ サブツ     ウ   グソクセンマンコウソウニョライ オウグ ショウ
 て、善國の中に於て當に作佛することを得べし。具足千萬光相如來・應供・正
 
 ヘンチ ミョウギョウソクゼンゼイ セケンゲムジョウジジョウゴジョウブテンニンシ ブツ セソン ナヅ
 遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・佛・世尊と號けん。
 
 ホトケ ジュ ムリョウアソウギコウ
 佛の壽、無量阿僧祇劫ならん。
                 
    
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  1. 今 日 の 解 読 !  (苦)
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 驕曇彌(きょうどんみ)よ、この一切衆生喜見佛及び六千の菩薩は、順次各々
 
 が授記して阿耨多羅三藐三菩提を得るのだ。その時に羅候羅の母耶輸陀羅(や
 
 しゅだら)比丘尼は、心にこう思った、世尊さま、授記の中に於てただ一人我
 
 が名を説いていらっしゃらないのでは。佛は、耶輸陀羅に告げました、汝は來
 
 世の百・千・萬・億の諸佛の法の中に於て、菩薩の行を修し大法師と成り長ら
 
 く次第に佛道を具して、善なる国の中に於て當に作佛することを得るだろう。
 
 具足千萬光相如來(ぐそくせんまんこうそうにょらい)・應供・正遍知・明行
 
 足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・佛・世尊と名付ける。佛の寿
 
 命は、無量阿僧祇劫となる。
 
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  2. 今 日 の 説 法 !  (集)
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前回では、釈迦は姨母の驕曇彌にせかされて漸漸に一切衆生喜見如來として成佛
するであろうと予言しましたが、今回は付け加えて、その一切衆生喜見佛は驕曇
彌が今まで率いてきた六千の声聞がいずれ皆、菩薩となって共に各々が轉次しあ
って授記をして阿耨多羅三藐三菩提を得るようになると説明しています。
   
その次に今度は、羅候羅の母耶輸陀羅比丘尼が、心に念をなしました。
それは、世尊は授記の中に自分一人だけ名を挙げていないのではないでしょうか、
と。
   
するとすぐさまに釈迦は耶輸陀羅に、汝は來世に百千萬億の諸佛の法の中に於て、
菩薩修行しながらいずれ大法師となって漸(ようや)く佛道を具して、善国の中
で作佛するといい、その名は具足千萬光相如來と名付けました。
また、驕曇弥への予言には云わなかったその佛の寿命について、耶輸陀羅の作佛
後の寿は無量阿僧祇劫であると言い渡しました。
 
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  3. 今 日 の 謎 !   (滅)
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まず、今日の謎を整理して見ることにしましょう!
   

その謎1:驕曇彌(きょうどんみ:釈迦の夷母)の一切衆生憙見佛として順々に受記することや、耶輸陀羅(やしゅだら:釈迦の妻)の漸(ようや)く仏道を具してから成仏するとはどういう意味でしょうか?
  

⇒ 驕曇弥や耶輸陀羅は釈迦のごく身近な親族でありますから、釈迦の判断では前例の従弟の阿難や長男の羅御羅のケースと同様に修行者の中でも身内親族への待遇は特に優先されるべき約束となっていたようですね。しかし、順々に別な者へと授記する方法であったり、ようやく仏道を成就してから成仏するという授記の与え方は阿難や羅御羅と比較して釈迦仏に対する素直さがなく、逆に平気で疑ってかかる有様の2人に対しては統率にかなり負担のかかる意味と考えられます。つまり、釈迦としては驕曇弥や耶輸陀羅へは一般修行者とはかなり異なるという理由で授記の格差を表現し、物事をしっかりわきまえさせるために示した授け方と考えて良いのではないでしょうか?ただ身内だからと一般修行者からの反発や混乱も生じやすいなどを配慮して、案外現実に即して責任ある釈迦仏の性質はこのようなものだったかもしれません。

  
その謎2:釈迦の驕曇弥や耶輸陀羅への授記予言の仕方は、たとえば驕曇弥には作仏国や仏の寿命は教えず、耶輸陀羅だけに善国での作仏と寿命を指定したりで、各々にいい加減で曖昧な授記儀式のように感じられ、変ではないでしょうか?

 

⇒ 釈迦は驕曇弥からの疑心に対しての言い分として驕曇弥にはもうすでに授記表明は済ませてあると打ち明けています。つまり、夷母の驕曇弥に関しては恐らく事前の五百弟子への授記に含まれていたのでしょう。それに対し耶輸陀羅は釈迦の妻でありますから釈迦の弟子という存在ではなかったのでしょう。つまり、驕曇弥にはすでに五百人の弟子としてまとめて授記内容を詳しく言い渡たされてあることに対し、妻の耶輸陀羅だけには今回が初めて授記を言い渡すことになったからだと考えられます。

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法華経 序品第一

 

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4-13

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コメント: 3
  • #1

    ぶっけん (木曜日, 13 8月 2015 11:18)

    「釈迦の姨母驕曇弥は一体いつ授記されていたのか?」
    「女人の罪障とは感性の違い?」

  • #2

    ぶっけん成安田 (水曜日, 12 4月 2017 21:57)

    勧持品は法華経全体の中でも特に複雑で難解な品に思えないでしょうか。
    一体、釈迦が何者で何を言おうとしているのかがさっぱりちぐはぐで、登場している菩薩集団は精神が錯乱してしまうかのような激しい憤りが感じられます。
    この品で釈迦はどうやら思いがけず一気に信頼性を失ってしまい、心から信じれる者が誰も居なくなったかのようです。
    実際にこの品では身内や信者たちが大きな分裂を開始し出し、各々が好きにさせてもらうといった感じです。
    皆がそうなってしまったのは、はっきりと言わない釈迦に対してでしょうが、釈迦が本当にここで言いたかったのは「しばらく待て」だったと思えるのです。

  • #3

    ぶっけん成安田 (日曜日, 13 8月 2017 10:23)

    法華経の内容の概略を言えば、お釈迦様が弟子たちへ次から次に成仏の権利と保証の資格を与える授記というシステムでできていることがわかります
    しかし、その授記はお釈迦様の世話や待遇を得れることの保証とは違うのです
    逆にすでにお釈迦様の指導世話から独立して自立した独自な修行体制に入れという命令なのです
    独自とはつまり、仏道修行を心掛ける者は法華経の経典のみをしっかり自習して自分だけで身に付けることへの誓いなのです
    現代の受験体制の原則と何ら変わりはありません
    自ら得た資格は自らに活かしていくためなのです
     
    (ぶっけん成安田)