★★ きょうの謎!
その謎1:前回の最後第五十の一偈を聞いて隨喜する者と、今回の初に聞いて隨喜
する者とはその福の違いが分別されるということでしょうか?
その謎2:前回の初めにも「今當に之を分別すべし」と言い、今回も最後に「今當
に分別し説くべし」と同じ言葉で二度続けて強調してますが、この分別
の重要さとは何でしょう?
■■第12-18日 Vol.320
初に聞いて隨喜せん者をや
【隨喜功徳品第十八】
(六十六~七十行)
■■今日の一偈一句
カク ゴト テンデン キ ソ フクナ ムリョウ イカ イワ ホウエ オイ ハジメ
是の如く展轉して聞く 其の福尚お無量なり 何に況んや法會に於て 初に
キ ズイキ モノ モ イチニン スス ショウイン ホッケ キ
聞いて隨喜せん者をや 若し一人を勸めて 將引して法華を聽かしむること
イ コ キョウ ジンミョウ センマンゴウ ア ガタ スナワ オシエ ウ
あつて 言わん此の經は深妙なり 千萬劫にも遇い難しと 即ち敎を受けて
ユ キ ナイシ シュユ キ コ ヒト フクホウ イママサ フンベツ ト
往いて聽くこと 乃至須臾も聞かん 斯の人の福報 今當に分別して説くべ
し
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1. 今 日 の 解 読 ! (苦)
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このようにして展伝してこの経典を聞く その福はなおも無量である 実は何
を言おうとしているのか法の集会に於て 初めにそれを聞いて隨喜する者のこ
とである もし最初に一人だけでも勧めて 率いて法華を聴かせてあげること
があったとして そこで何と言うかこの経は深妙である 千万劫の間にも遭遇
は難しいと 即ち教えを受けて往詣して聴くこと それがほんの僅かの時間に
於てでも聞くことによる その人の福報を 今まさに分別して説いてあげよう
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2. 今 日 の 説 法 ! (集)
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前回釈迦は阿逸多に対し重ねて偈を説かれ始め、展轉による第五十最後の人の隨
喜して得る福について、その比較としては、ある大施主が無量の衆生に対し生涯
苦心して供給する福よりも遥かに勝ることは喩え話にもならないことだと教えま
した。
そして今回は、そのようにして展轉して聞くその福の量はなお無量であると言い、
それはどういう意味なのかを説き明かせば、法集会に於て初めに聞いて隨喜する
者のことであると言い、もし一人だけに勧めて引率して法華を聴かせてあげるこ
とがあったとして、その時に言うことといえばこの経は深妙なり、千万劫にも遇
い知ること難しいなどであろうとすれば、即ち教えを受けて法集会へ往詣して聴
くことは、それがたとえほんの僅かな一時も聞くことであるに対する、この人の
福の果報を今こそはっきりと分別して説いてあげると言ったのでした。
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3. 今 日 の 謎 ! (滅)
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まず、今日の謎を整理して見ることにしましょう!
その謎1:前回の最後第五十の一偈を聞いて隨喜する者と、今回の初に聞いて隨
喜する者とはその福の違いが分別されるということでしょうか?
その謎2:前回の初めにも「今當に之を分別すべし」と言い、今回も最後に「今
當に分別し説くべし」と同じ言葉で二度続けて強調してますが、この
分別の重要さとは何でしょう?
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ぶっけん成安田 (月曜日, 17 4月 2017 15:40)
悪い噂こそすぐ流行る・・悪い情報こそいち早く伝達しなければならないわけです。
悪いことにはすぐにも警戒し変化対応に備えなければならい本能的かつ自然な現象なのでしょう。
それに対し、今の暮らしをより善くしていこうと創り上げた法華の話は普及力がとても遅いらしく、その法華をこの随喜功徳品では50人が代わる代わるに一人ずつ地道に50人へ伝達していくことの難しさと共に、その伝達50人を達成したときの功徳は格別に大量だと教えているのです。
そして、この功徳の大量さは、ある優れた仏教指導家がただ一人で大量の人々に救済の教えを説いた場合の功徳の量と比較して比べものにならないほど大きいとも教えています。
それは何とも意外であり、そんなことは現実なのだろうか?とちょっと首をかしげたくなりますが、初めて法華を知る者たちが初めて他者へその善さを地道に伝達していく初心な功徳を合わせれば物凄い縁起な量を生じさせるといった代物らしいのです。