第11-11日 Vol.288  復八方に於て、各 二百萬億那由他の國を變じて 【見宝塔品第十一】(六十二~七十行)

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★★ きょうの謎!
 
その謎1:どうして釈迦は、前回の所分身の諸佛を容受する為に変じた八方各々二

     百万億那由他の国の数と、今回のこれから来る諸佛が座す為に八方各々

     の国を同じ数だけ二度別々に変じたのでしょう?
 
その謎2:なぜ、十方でなく八方の国土だけ変じたのでしょう?
 
その謎3:釈迦の一方所分の身に於て、娑婆世界だけの広さでは容受できなくなっ

     たことにより、釈迦佛の一方所分、恐らく釈迦の東北方の分身諸佛は外

     部に変じた八方へ皆出されて配備されたということでしょうか?
 
 
■■第11-11日  Vol.288
 
 復八方に於て、各 二百萬億那由他の國を變じて
  【見宝塔品第十一】
  (六十二~七十行)
 
■■今日の一偈一句
  
 シャカムニブツ  ショブツ マサ キタ ザ      タメ ユエ  マタハッポウ オイ  オノオノ
 釋迦牟尼佛、諸佛の當に來り坐したもうべきが爲の故に、復八方に於て、各 
 
 ニヒャクマンノクナユタ  クニ ヘン   ミナショウジョウ       ジゴク ガキ チクショウオヨ
 二百萬億那由他の國を變じて、皆清淨ならしめたもう。地獄・餓鬼・畜生及び
 
 アシュラ       マタモロモロ テン ニン ウツ  タド  オ  ショケ クニマタ ルリ モッ
 阿修羅あることなし。又諸の天・人を移して他土に置く。所化の國亦瑠璃を以
 
  ジ ナ ホウジュショウゴン  キ タカ ゴヒャクユジュン シ ヨウ ケ  カ シダイ ショウゴン
 て地と爲し寶樹莊嚴せり。樹の高さ五百由旬、枝・葉・華・果、次第に莊嚴せ
 
   ジュゲミナタカラ シシ ザ   タカ ゴユジュンマタダイホウ モッ コレ キョウジキ  マタダイ
 り。樹下に皆寶の師子座あり、高さ五由旬。亦大寶を以て之を校飾せり。亦大
 
 カイ コウガオヨ モクシンリンダセン マカモクシンリンダセン  テッチセン ダイテッチセン  シュミセントウ ショ
 海・江河及び目眞鄰陀山・摩訶目眞鄰陀山・鐵圍山・大鐵圍山・須彌山等の諸
 
 セン オウ   ツウ  イチブツコクド   ホウヂビョウジョウ タカラ    キョウロ  マンアマネ
 山の王なく、通じて一佛國土となつて寶地平正なり。寶をもつて交露せる幔遍
 
  ソ  ウエ オオ モロモロ バンガイ カ  ダイホウ コウ タ  ショテン ホウケアマネ ソ  ジ
 く其の上に覆い、諸 の旛葢を懸け、大寶の香を燒き、諸天の寶華遍く其の地
 
  シ
 に布けり。
 
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  1. 今 日 の 解 読 !  (苦)
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釈迦牟尼佛は、最後に諸佛がまさに来訪して座して戴く為のゆえに、また八方に
 
於て、各々二百万億那由他の数の国を変化させ、皆清淨ならしめたのであった。
 
そこには地獄・餓鬼・畜生及び阿修羅あることなく。また諸々の天・人を移動さ
 
せて他土に置いたのであった。所化(しょけ:教化を受ける、調練を受けた者)
 
の国はまた同じく瑠璃をもって地となし宝樹は荘厳された。その樹の高さ五百由
 
旬、枝・葉・華・果によって、次第に荘厳された。その樹下には皆宝の師子座あ
 
って、その高さは五百由旬。また大宝をもってこれを校飾(きょうじき:綿密に
 
飾り立てる)とされる。また大海・江河及び目眞鄰陀山・摩訶目眞鄰陀山(もく
 
しんりんだせん・まかもくしんりんだせん:伝説上の山の名)・鐵圍山・大鐵圍
 
山(てつちせん・だいてつちせん:鐵圍山は須弥山を囲む最も外側の山の名で小
 
鐵圍山ともいう、大鐵圍山は恐らくその付近にある山の名)・須彌山(しゅみせ
 
ん:一の世界の中心をなす大山)等の諸山の王はなく、一貫して一佛の国土とな
 
って宝の地は平正となった。宝をもつて交露(きょうろ:宝玉をつらねた幔幕、
 
玉の光が露の光を交えたようになるから交露という)となる幔(まん:天幕)が
 
遍くその地上に覆い、諸々の旛葢(ばんがい:王者貴人などにさしかける傘の列)
 
を懸け、大宝の香を焚き、諸天の宝華も遍くその地に敷かれた。
 
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  2. 今 日 の 説 法 !  (集)
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今回は前回に釈迦が施した、自身の十方分身諸佛を受け入れるには、それらを収
容する国土面積が足らないことを気付き、急遽更に外部八方の国々を変じて清淨
させ、国土・宝樹などを勤加荘厳し宝の師子座を設置した臨時拡張の開発事業と
ほぼまったくと言って良いほど、規模や手法などを再度そのまま大雑把にコピー
したように同じことをそのまま繰り返しているのです。
 
今回のそれは、どうやら前回では分身諸佛を受け入れるためだったことが、今度
はこれからまだ来るかもしれない通常の諸佛を受け入れるために、前回とまった
く同じく八方の各々二百万億那由他の国を変じて皆清浄にならしめたのです。
 
そしてまた前回と同じく、そこには地獄・餓鬼・畜生及び阿修羅あることなく、
また諸々の天・人を移動させて他土に置いたのでした。

そして、所化、つまりそのように釈迦により変じられた国々はまた同じく瑠璃を
もって地となし宝樹は荘厳されたのです。
その宝樹も同じくその高さ五百由旬、枝・葉・華・果により、次第に荘厳されま
した。
 
そして、その樹下にも同様に皆宝の師子座があり、高さ五由旬ですが、これは大
宝をもって巧妙綿密に決められた手法で飾り付けられました。
 
そしてまたも同じく、大海・江河及び目眞鄰陀山・摩訶目眞鄰陀山という伝説上
の山、そして鐵圍山・大鐵圍山、その中央の須彌山等の諸山の王はなく、一貫し
て一佛国土となって宝の地は平正になりました。
 
そしてこれもまた同じく、宝玉を連ねて露の交じった光が煌めくような天幕が遍
くその地上を覆い、諸々の旛葢を懸け並べ、大宝の香を焚き、諸天の宝の華が遍
くその地に敷き詰められたのでした。
 
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  3. 今 日 の 謎 !   (滅)
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まず、今日の謎を整理して見ることにしましょう!
 
その謎1:どうして釈迦は、前回の所分身の諸佛を容受する為に変じた八方各々
     二百万億那由他の国の数と、今回のこれから来る諸佛が座す為に八方
     各々の国を同じ数だけ二度別々に変じたのでしょう?
 
その謎2:なぜ、十方でなく八方の国土だけ変じたのでしょう?
 
その謎3:釈迦の一方所分の身に於て、娑婆世界だけの広さでは容受できなくな
     ったことにより、釈迦佛の一方所分、恐らく釈迦の東北方の分身諸佛
     は外部に変じた八方へ出されて配備されたということでしょうか?
 


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法華経 序品第一

 

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11-11

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コメント: 5
  • #1

    安田 和正 (水曜日, 11 3月 2015 23:48)

    『十方世界の中心が釈迦の娑婆世界』

  • #2

    ぶっけん (金曜日, 11 11月 2016 16:03)

    建築職にはもともと建築に関する自主的な防災責任は法的にありません。建築職は依頼されてこそ防災責任者になるのです。

  • #3

    ぶっけん (金曜日, 11 11月 2016 16:05)

    災害が経済効果であってはならない。経済成長には防災は無くてはならない。

  • #4

    ぶっけん (金曜日, 11 11月 2016 16:06)

    経済成長と防災進歩との裏腹な課題について
    2016-11-11 12:58:55 | 生活経済
    近頃は、暮らしの経済効果が攻め手の優先とばかりにとらえてしまい、その反対に受け身的な用心な心掛けをダメな人間だと批判する傾向が見られることがあると思います。
     
    しかし、それら経済的にはダメとされがちな者であったとしても、他人との助け合いを大事にし、災害などの社会的マイナス面を補正する防災普及に取り組む社会貢献型にも実は経済効果とは別な進歩が着々と進んで行く中で、それにより経済効果と防災進歩との両者が交じり合わないままに、各々時の流れが離れ離れに遠ざかりがちに思えます。
     
    その点をどうとらえて解決するかの今後の対策が大きな山場といえそうです。
    そのような対策下で、防災を論じなければ経済が保たない、逆に考えれば、つまり経済維持をしていくには常の防災が必要であり、経済効果を上げて急成長させるには、そのための日頃からたゆまぬ進歩を心掛ける地道さが必要だという論点にいずれ帰着していくのです。

  • #5

    ぶっけん成安田 (日曜日, 11 3月 2018 20:56)

    改善対策には費用をあまり掛けられないという長い社会の実態を考えましても、近頃は素直にまったくその通りだと思えるようになりました。
    私はかつて建築の仕事をしてきましたが、リフォーム工事が良いか新築工事が良いかと言えばもちろん新築工事が良いに決まっていますが、どうやらリフォーム工事のような改善手段のほうがより収益を高め易いと判断する自体が収益競争の社会では悲運としか言えないのです。
     
    例えば、近年ブームの健康ビジネスも元を質せば元の健康の体に改善するビジネスなのであり、それが健康ブームであってもビジネス競争を作り上げては何もならないわけです。
    だから、改善には費用はあまり掛けれないということを素直に考える必要があります。
     
    本日の見宝塔品の突如出現した仏塔は法華経を説く修行者の所ならどこへでも無料で豪華な豊かさを最大にアピールに現れてくれるのです。
    それはまるで多宝仏の心の広いサービス精神のようなものです。
    しかし、それは改善策ではなくこれから何が起きるか解からない未知なる将来への豊かさを最大にアピールするチャレンジする表現なのです。
    つまり今だかつてない未知なる豪華さへチャレンジ心を喚起誘導する大サービスの智恵なのです。
    はっきりこれが紛れもないありのままの収益の姿なのだと顕示しているように思えます。
     
    法華経の教えとは衆生に対する単なる精神の改善ばかりではない、とびきり大きな収益を目指させる精神の高揚にも重点を置いているのです。

    (ぶっけん成安田)