★★ きょうの謎!
その謎1:「潤す所是れ一なれども、而も各々滋茂るが如く」とは、一つ一つの樹
木・草花へ降り注ぐ各々一雨の水は、根・茎・枝・葉・実・光・色に
各々の役割に応じて、しみ込むように配分されていき、一つの樹木・草
花を茂らせているという意味でしょうか?
その謎2:「一味」とは一実、即ち諸法が一つの大きな実であるという意味なので
しょうか?
■■第11-5日 Vol.282
潤す所是れ一なれども
【薬草喩品第五】
(五十六~六十行)
■■今日の一偈一句
コン キョウ シ ヨウ ケ カ コウ シキ イチウ オヨ トコロ ミナセンタク ウ
根・莖・枝・葉 華・果・光・色 一雨の及ぼす所 皆鮮澤することを得
ソ タイソウ ショウ ダイショウワカ ゴト ウルオ トコロコ イチ シカ オノオノ シ
其の體相 性の大小に分れたるが如く 潤す所是れ一なれども 而も各 滋
ゲ ゴト ホトケ マタカク ゴト ヨ シュツゲン タト ダイウン アマネ イッサイ
茂るが如く 佛も亦是の如し 世に出現すること 譬えば大雲の 普く一切
オオ ゴト スデ ヨ イ モロモロ シュジョウタメ ショホウ ジツ フンベツ
に覆うが如し 既に世に出でぬれば 諸 の衆生の爲に 諸法の實を 分別
エンゼツ
し演説す
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1. 今 日 の 解 読 ! (苦)
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根・茎・枝・葉や 華・果などの部分、そしてその光・色に対し 一雨の及ぼ
す所は 皆鮮やかに役割持って待ち望める その体相や 性質の大小に分れた
るが如く 潤す所はこれ一つなれども それにしても各々が滋養して茂るが如
く 佛もこのようなものである 世に出現することは 例えば大雲の 普く一
切に覆い尽くすように 既に世に出たならば 諸々の衆生の為に 諸法の実を
分別して演説するのだ
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2. 今 日 の 説 法 ! (集)
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前回に引き続き、大弟子迦葉に対し釈迦が説いている偈の続きです。
前回の偈は次のように説いていました。
山奥の川や谿谷などの秘境地に原生している草や木・薬草・大小さまざまな諸
樹、その他さまざまな穀類や苗類などの雨の潤いをもたらす所は、豊かさが不
足することはない
乾いた地は雨により普く湿潤し、薬草は一律に生い茂り、その雲から降り落ち
る一味の水に、草・木・雑木林などその分に随って潤いを受ける
一切の諸樹は、その格付けの上中下に応じて、平等にその大きさの大小に準じ
て、各々の生長が成される
そして、今回は次のようになります。
根・茎・枝・葉や 華・果などの部分構成、そしてそれを現わす光・色の区分
について 一雨の及ぼす所は 皆鮮やかに役割分担で待ち望める状態となって
いる その体相や 性質の大小に分別されているが如く 潤す所はこれ一つな
れども それから各々の部分へしみ込むようにしてバランス配分されることで
茂ると同じように 佛もこのようなものである 世に出現することは 例えば
大雲の 普く一切に覆い尽くすように 既に世に出たならば 諸々の衆生の為
に 諸法の実を分別して演説するのだ
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3. 今 日 の 謎 ! (滅)
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まず、今日の謎を整理して見ることにしましょう!
その謎1:「潤す所是れ一なれども、而も各々滋茂るが如く」とは、一つ一つの
樹木・草花へ降り注ぐ各々一雨の水は、根・茎・枝・葉・実・光・色
に各々の役割に応じて、しみ込むように配分されていき、一つの樹木
・草花を茂らせているという意味でしょうか?
その謎2:「一味」とは一実、即ち諸法が一つの大きな実であるという意味なの
でしょうか?
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ぶっけん (金曜日, 04 11月 2016 23:36)
私は自分ではとても思いがけなかったほど浮き沈みギャップの激しい長い過去の経験を持つ。
幼児の頃もたいそう素直で一番誉められていると思ったら、なんて意地の悪い子か?こんなひどい子見たことも無いと他人に驚かれたり、極端だった。
小学校へ上がるとだいぶ状況も変わった。
ほんの一時期、浮かれていたずら盛りでもあったから最初は信用を失ったが、絵がなぜか上手かったせいで表彰されたり一転して模範的な小学生かのように学校中で照れくさいほど誉められたりした。だから小・中学生の間は多少悪いことをしても素直でお利巧な学生として、運動もできたし友達も多く居た、ほどほどの学業成績もとれ、先生には極力迷惑をかけずに何事も信用第一だった。
ところで、高校から先のことが急にわからなくなり、成人して以降は勤め先でも居住地でも信用のおけない者、他人をだましたりドロボーをしているのではないかと噂され続けた。
自分は何も悪いことはしていない。
学生時代同様にひたすら信用第一に努めていただけだ。
かと言って、はっきり表立っていじめを受けたというわけではなく、陰であれこれ噂が終わらなかったのだ。
仕事上で、若い頃よくでくの坊と言われた。しかし、自分では決してそう思えなかったし、本当に自分でそう思えるまでにはかなりの時間が掛かった。
そんな境遇で他人と競争してまで稼ごうとは自分では思わなかったが、全くの見ぬ知れずの他人が自分に対し競争してやまないのは敵わないし、頑張っても頑張っても稼ぐ事で勝つことはほぼ出来なかった。
しかし、今振り返れば、顔も知れない者たちのそういう嫌がらせがあったことで、人間とはどうやって生きればよいのか、その生き方を知ることができたのだ。
そう思えれば、自分ほど楽しい生き方は他にはないのではないかと正直に思う。
別に珍しくなくてもいい。ただただ、明日をどう生きるかの難しさが好きになっている。
とにかく、ギャップだ!
ぶっけん (月曜日, 05 3月 2018 10:21)
仏はさまざまな衆生に与える智恵をまるで雨のように同じものを平等に降らすといいます。
それは何を意味するのでしょうか?
雨とは物質であり、降ってしまえば所詮すぐに流れて消えて行くものです。
形あるものはこわれるのです。
物質は目にみることができるのです。
目に見ることができるのは色があるからです。
それを観音様は般若心経で説きました。
色即是空。空即是色。
物質である色とは即座に空である。
そして、空とは即座に色である。
目に見える智恵は即座に空しい。
空しく消えるものであるから、即ち自分自身の智恵として見えてくるのである。
何事も自分自身の智恵として表現しなければ意味のないものだと言っているのです。
(ぶっけん成安田)