第11-1日 Vol.278  我此に住して 見聞すること斯の若く 【序品第一】(六十八~七十二行)

法華経 序品第一

★★ きょうの謎!
 
その謎1:弥勒菩薩は釈迦に見せられた東方諸国の情景から一目で知ったその状況

     を文殊師利へ説明しているのではなく、弥勒自身が今までこの娑婆世界

     に住んでいながら見て聞いてきている佛法の基本的在り方について先ず

     は知ってもらいたいということなのでしょうか?
   
その謎2:弥勒菩薩は今釈迦に見せられた他国の状況が、弥勒自身が今まで知って

     いる佛事の在り方と何ら変わらないはずだと言いたいのでしょうか?
 
 
■■第11-1日  Vol.278
 
 我此に住して 見聞すること斯の若く
 
  【序品第一】
  (六十八~七十二行)
 
■■今日の一偈一句
 
  モ  ヒトク オ   ロウビョウシ イト    タメ ネハン  ト   ショク サイ ツク
  若し人苦に遭うて 老病死を厭うには 爲に涅槃を説いて 諸苦の際を盡さ
  
     モ  ヒトフクア   カツ ホトケ クヨウ  ショウホウ シグ     タメ エンガク
  しめ 若し人福有つて 曾て佛を供養し 勝法を志求するには 爲に縁覺を
  
  ト   モ ブッシア   シュジュ ギョウシュ  ムジョウエ モト     タメ ジョウドウ
  説き 若し佛子有つて 種種の行を修し 無上慧を求むるには 爲に淨道を
  
  ト      モンジュシリ ワレココ ジュウ  ケンモン    カク ゴト  センノク ジ
  説きたもう 文殊師利 我此に住して 見聞すること斯の若く 千億の事に
  
  オヨ
  及べり

 
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  1. 今 日 の 解 読 !  (苦)
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 もし人が苦に遭遇して 老病死を切なく思うには その為に涅槃の教えを説い
 
 て 諸々の苦の果てを尽くさしめ もし人が福有って かつて佛を供養してき
 
 たことで 勝法を志求するには その為に縁覚乗を説き もし佛子あって 種
 
 種の行を修して 無上慧を求めるには その為に淨道を説きたもう 文殊師利
 
  我はここに住して 見聞したことはこのようであり 千億の事に及ぶであろ
 
 う
       
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  2. 今 日 の 説 法 !  (集)
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前回まで、弥勒菩薩は釈迦佛が放った突如異様な光の事について、同じ会中に居
合わせていた文殊師利菩薩へその疑問を投げ掛けるように偈頌を作って説いてい
るのです。
 
これはとても長い長い偈なのですが、今回も更にその続きになります。
 
前回この偈は、釈迦の照らした東方一万八千の世界の情景の様子を表わしている
のでしたが、 その照らされた国々には諸佛が居て、その聖主の獅子たちが経典
の中でも微妙第一といわれるものを演説しておられ、その御声は清淨かつ柔軟で
あって諸々の菩薩に指導を行なっている様は壮大かつ穢れのない梵音が深妙に浸
透し、人がどうしても聞きたいと心から願わさせているそうです。
 
そして各世界に於て、正法を講和するのにさまざまな因縁が用いられ無量の喩え
をもって佛法を照明して、衆生の悟りを開かせている様子が観覧できると説きま
した。
 
今回は、その方便説法の仕組みとして、もし人が苦しみにもがいていて、老病死
の苦痛を切なく訴えているならば、その為には涅槃の教えを説いてあげ、諸々の
苦しみの果ての際までを尽くさせることを教え、もし人が福が有って、かつてに
佛を供養してきていることにより勝法を志願して求めているならば、その為には
縁覚乗の教えを説いてあげ、もしも佛子が居て様々な行を修めて無上慧を求める
ならば、その為に淨道を説いてあげるという、このように文殊師利菩薩に知らせ、
弥勒菩薩は自分でここに居住していて見聞してきたことはこのようなことであっ
て、それは千億の佛事にも及ぶことであると伝えました。 
  
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  3. 今 日 の 謎 !   (滅)
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まず、今日の謎を整理して見ることにしましょう!
   
その謎1:弥勒菩薩は釈迦に見せられた東方諸国の情景から一目で知ったその状
     況を文殊師利へ説明しているのではなく、弥勒自身が今までこの娑婆
     世界に住んでいながら見て聞いてきている佛法の基本的在り方につい
     て先ずは知ってもらいたいということなのでしょうか?
   
その謎2:弥勒菩薩は今釈迦に見せられた他国の状況が、弥勒自身が今まで知っ
     ている佛事の在り方と何ら変わらないはずだと言いたいのでしょうか?
 



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コメント: 2
  • #1

    安田 和正 (土曜日, 28 2月 2015 23:08)

    文殊は釈迦に合わせた、思う「ツボ」型。弥勒は舍利弗に合わせた、考える「コツ」型?

  • #2

    ぶっけん (木曜日, 01 3月 2018 19:26)

    今日からまた第1章の序品第一から始まります。
    先月は28日までしかなったから最終章の普賢菩薩勧発品第二十八を終えてすぐ休みなく今日の序品第一です。
    ところで、昨日の普賢菩薩の普賢という名前は普通の賢いという意味ですよね。
    それに対し、今日の序品第一の文殊師利菩薩と弥勒菩薩は普通とは異なった各々にかなり個性感覚な性質を持っているようです。
    一般にこの二人のタイプは世界どの地域にも目立って存在していることがよく知れているのではないでしょうか。
    それだけにお互いの個性の主張が強いのでしょうね。
    しかし、その割には誰よりも一番区分がわかり難い性質の二人なのかもしれませんね。
    つまり、どちらがどっちの性質だったか時々解からなくなるのもこの二人だと思います。
     
    この二人のことを法華経の中では特に海の者、山の者の違いのように極度に対比させて登場させているようです。
    法華経は最も解かり難い教典と言われているようですが、最初から海と山ほど違う個性を混合させているからでしょう。
    この両者の違いを先ず序品第一にあえて示しているのは、きっとそれを重要なヒントとして法華経全般を通じて考えさせようとしているに違いないですね。

    ところで、海の者と山の者とはどんな違いがあるのでしょう?
    一般に文殊師利菩薩を海の者、そして弥勒菩薩を山の者として対比しているようです。
    法華経の中では文殊師利は古くから釈迦の娑婆世界に住んでいた郷土の菩薩とされており、それに対し弥勒菩薩は他国から娑婆世界へやって来た他方の菩薩と言われています。
    釈迦に対する両者の違いとしては文殊師利は融和接待の個人型で、弥勒は警戒批判の集団型とも言えるでしょう。
    その逆に、釈迦の側から両者への違いは、文殊師利に対しては慎重な義理型で接し、弥勒に対しては思いやりによる人情型で接していると思います。

    このように釈迦は接する個性により使い分けた教え方をしているのが法華経の特徴であると思います。
    その教え方を釈迦は「方便随喜の説法」と呼んでおり、かつてどんな仏もこの教え方を基本としていたと教えています。
    方便随喜の説法とは、相手の個性に合わせた方便の話術には喜びがあるということですね。
    違う個性と個性が個性のままに理解し合え、そして違う個性と個性が入れ替わらないことが大事なのだと思います。
    きっと、そのようにして法華経を読むことで解かり易くなるのではないでしょうか。
     
    (ぶっけん成安田)