第9-21日 Vol.244  是の經を屬累せんが故に 【如來神力品第二十一】(四十七~五十行)



★★ きょうの謎!
 

その謎1:ここでいう屬累と次品の囑累品の囑累とは同じものでしょうか?
   
その謎2:この品では法華経を受持して修行することに重点を置き、他人の為に説

     くことは命じないのでしょうか?
 
 
■■第9-21日  Vol.244
 
 是の經を屬累せんが故に
 
  【如來神力品第二十一】
  (四十七~五十行)
 
■■今日の一偈一句
 
  コ キョウ ゾクルイ  ユエ  ジュジ モノ サンミ     ムリョウコウ ナカ オイ
  是の經を屬累せんが故に 受持の者を讃美すること 無量劫の中に於てすと
 
   ナ オ ツ   アタ    コ ヒト クドク  ムヘン   キワ
  も猶故盡くすこと能わじ 是の人の功徳は 無邊にして窮まりあることなけ
 
     ポウコクウ  ヘンザイ ウ      ゴト
  ん 十方虚空の 邊際を得べからざるが如し
 
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   1. 今 日 の 解 読 !  (苦)
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 この法華経を属累(ぞくるい:委任)するがゆえに 受持の者を讃美すること
 
 について 無量劫の長き中に於てとすれどもなおもなおもその功徳を盡くすこ
 
 とはできない この人の功徳は 無辺にして窮まりのあることはない 十方世
 
 界の虚空の その境界際を知り得ることができないに等しい
    
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   2. 今 日 の 説 法 !  (集)
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前回釈迦は、諸佛や救世者がこの法華経を受持することについて衆生を悦ばせる
為に、無量の神力を現わされたことについて偈で述べ始められました。
 
今回はその偈の続きとなります。
 
 この法華経を委任するにおいて この経を受持する者が神のように讃えられる
 
 伝統は 無量劫の期間中を通じて維持すれど なおも盡し切ってはならない 
 
 この人の功徳は 無辺であり窮まりを生ずることは無い 十方世界の虚空の
 
 その端末境界を得れないことの如しである 
 
   
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   3. 今 日 の 謎 !   (滅)
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まず、今日の謎を整理して見ることにしましょう!
   
その謎1:ここでいう屬累と次品の囑累品の囑累とは同じものでしょうか?
   
その謎2:この品では法華経を受持して修行することに重点を置き、他人の為に
     説くことは命じないのでしょうか?
  


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法華経 序品第一

 

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 4. 今 日 の 知 識 !  (道) 5. 今 日 の 解 脱 !  (解)
 6. 今 日 の 振 返 り ! (脱)
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9-21

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コメント: 3
  • #1

    安田 和正 (火曜日, 20 1月 2015 15:57)

    経の受持者・法の普及者、経と法の違いは屬累と囑累の違いにみる

  • #2

    ぶっけん (日曜日, 20 9月 2015 22:53)

    万象ニ天意ヲ覚ル者ハ幸ナリ

  • #3

    ぶっけん成安田 (金曜日, 21 9月 2018 20:03)


    自分の責任としてやって行かせる。
    それが委嘱や委任としての嘱累です。
    ところで、この世の中で本当に自分の物になるということはあるでしょうか?

    この世のほとんどの事物はほんの借り物に過ぎないのではないでしょうか?
    その借り物にすぎないものを本来の自分のものとして見なしてもらえるのですから、その有り難みに忠実に習うことが衆生全般の定めなのでしょう。

    その定めを喜びに変えて生きていく…それはなんと極楽なのでしょう。