★★ きょうの謎!
その謎1:名相という號は名前の相という意味でしょうか?
その謎2:大道とは大乗道のことでしょうか?
■■第9-6日 Vol.229
須菩提のなる名相佛の国は厳浄第一
【授記品第六】
(五十一~五十八行)
■■今日の一偈一句
ソ トキ セソン カサ コ ギ ノ ホッ ゲ ト ノタマ
爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく
モロモロ ビクシュ イマナンダチ ツ ミナマサ シン ワ ショセツ キ ワ ダイ
諸 の比丘衆 今汝等に告ぐ 皆當に一心に 我が所説を聽くべし 我が大
デシ シュボダイ マサ サブツ ウ ナ ミョウソウ マサ ムシュ
弟子 須菩提は 當に作佛することを得べし 號を名相といわん 當に無數
マンノク ショブツ ク ホトケショギョウ シタガ ヨウヤ ダイドウグ サイゴシン
萬億の 諸佛を供し 佛の所行に随つて 漸く大道を具すべし 最後身に
ソウ エ タンジョウシュミュウ ナ ホウセン ゴト ソ ホトケ コクド
三十二相を得て 端正殊妙なること 猶お寶山の如くならん 其の佛の國土
ゴンジョウダイ シュジョウ ミ モノ アイギョウ ホトケソ ナカ オイ
嚴淨第一にして 衆生の見る者 愛樂せざることなけん 佛其の中に於て
ムリョウ シュ ド
無量の衆を度せん
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
____________________________________
1. 今 日 の 解 読 ! (苦)
____________________________________
その時に世尊は、重ねてこの義を宣べようと欲して、偈を説いて言わく
諸々の比丘衆よ 今汝等に告ぐ 皆當に一心に 我が所説を聴くべし 我が大
弟子の 須菩提は 當に作佛することを得べし その名號を名相という 當に
無数万億の 諸佛を供養し それら佛の所行に随って 漸くに大道を具すので
ある そして最後身に於て 三十二相を得て その端正なる姿は際立って勝れ
たること あたかも宝山の如くのようになるであろう その佛の国土は 厳浄
であること第一にして 衆生で見る者誰もが 羨ましがり愛好しないはずがな
い 佛そのような国の中に於て 無量の衆生を済度するのである
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
____________________________________
2. 今 日 の 説 法 ! (集)
____________________________________
今回は前回に釈迦が四大弟子の内二番目に授記を与えることになった須菩提につ
いて再度、偈を説いてその授記内容を釈迦が説くところです。
諸々の比丘衆に対し釈迦は、大弟子の須菩提は必ず成佛できると伝え、その名は
名相如來といい、無数万億の諸佛を供養し、その諸佛の所行に随ってようやくに
大道を具足することになるそうです。
そして、最後身に於て三十二相を得ること、その様相は端正に際立ち、まったく
宝山を見るようであるそうです。
その名相佛の国土は、荘厳清浄の度合第一であって、衆生がそれを見て、特別な
親しみを感じないはずがないと言っています。
その名相佛はその中に於て、無量の衆生を救済するということです。
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
____________________________________
3. 今 日 の 謎 ! (滅)
____________________________________
さて、今日の謎を整理して見ることにしましょう!
その謎1:名相という號は名前の相という意味でしょうか?
その謎2:大道とは大乗道のことでしょうか?
ご案内
♪ 上記ブログをお読みになった感想、ご案内への問い合わせ等、どんなことでも構いません、下記フォームに記載の上、送信してください。<🌷このメッセージフォームでの記載内容は公開されません。公開用掲示板へのコメント投稿の場合はさらに下段のコメントフォームの方からお送りください。>
コメントをお書きください
安田 和正 (火曜日, 06 1月 2015 00:25)
成佛授記すら難義な方便か。
ぶっけんの世間の風だより (土曜日, 06 1月 2018 12:32)
私は、釈迦に対する大弟子と言われている多くの弟子の中でも模範になる最上部の者たちこそ目の前のお金や豪華な宝物の褒美などに内心は目を奪われている者たちに思えてなりません。
ある意味では最も愚かと言われる者たちこそを大弟子に抜擢することの苦難の知恵と歴史が初期の仏教の開発には必ず不可欠だったかのように思わされます。
そのように完ぺきに理想な道を目指すのなら途中経路には特別な手段を用いなければならなかったということですね。
理想さえ貫くならばと手段を選ばないのは適切ではありません。
耐え忍ばなければならない時は無理に理想ばかりを推し進めても上手く行きません。
しかし、理想の意欲は常に見失ってはいけないのです。
それだけに、見失わされがちなお金の世界こそを一番最初に堂々押さえる戦法は仏教の先行手段だったと言えるでしょう。
(ぶっけん安成)