★★ きょうの謎!
その謎1:この偈を説く菩薩たちは余計目に悪世の比丘たちへの批判体制を強めて、やけを
起こしているように思われるのではないでしょうか?
その謎2:菩薩たちは広く説くと共に、耐え忍ぶ決意を誉められ認めてもらいたいのでしょ
うか?
■■第8-13日 Vol.209
我等皆當に忍ぶべし
【勧持品第十三】
(四十四~四十九行)
■■今日の一偈一句
タダネガ ウラオモ ホトケ メツド ノチ クフ アクセ ナカ オイ
唯願わくは 慮 いしたもうべからず 佛の滅度の後 恐怖惡世の中に於て
ワレラ マサ ヒロ ト モロモロ ムチ ヒト アック メリ トウ オヨ トウジョウ クワ
我等當に廣く説くべし 諸の無智の人 惡口罵詈等し 及び刀杖を加うる
モノ ワレラ ミナマサ シノ アクセ ナカ ビク ジャチ ココロテンゴク
者あらん 我等皆當に忍ぶべし 惡世の中の比丘は 邪智にして心諂曲に
イマ エ コ エ オモ ガマン ココロジュウマン アルイ アレンニャ ノウエ
未だ得ざるを爲れ得たりと謂い 我慢の心充滿せん 或は阿練若に 衲衣に
クウゲン ア ミズカシン ドウ ギョウ オモ ニンゲン キョウセン モノ
して空閑に在つて 自ら眞の道を行ずと謂うて 人間を輕賤する者あらん
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1. 今 日 の 解 読 ! (苦)
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ただ願わくは ご憂慮したもうべからず 佛の滅度の後 恐怖なる悪世の中に
於て 我等はまさに広く説くべし 諸々の無智の人たちは 悪口でののしる等
をし 及び刀杖を加うる者があるでしょう 我等は皆まさに忍ぶべし 悪世の
中の比丘は 邪智にして心が諂曲(てんごく:媚びへつらう)になり 未だ得
ざることをこれすでに得たりと思い込み 我がままで冗漫の心が充満しかねま
せん 或いは阿練若(あれんにゃ:荒野・森林・寺・修行する閑静な場・索漠
とした荒れ果てた寺)にて 衲衣(のうえ:ぼろ布を縫い合わせて作った衣・
僧侶の衣服)に身を包んでは空閑(くうげん:人の居ない静かな場所)に所在
して 自らに真実の佛道を修行しているものと思い込み 人間を輕賤(きょう
せん:軽んじて見下し、馬鹿にする・軽蔑)する者が居かねません
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2. 今 日 の 説 法 ! (集)
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前回、釈迦が身内筋の比丘尼集団などの勝手な判断に対し何も言えずにいること
へ苛立ちを覚えたように八十万億那由他の菩薩摩訶薩たちは佛前に合掌して大声
を上げて、釈迦滅後の厳しい悪世に於いても自らに法華経をしっかり書写し、受
持し、読誦して修行することを誓うと共に、釈迦に対し遥か遠くからであっても
私たちを見守っていてくださいと願ったのでした。
そして、その諸々の菩薩が偈を説くところから今回は始まります。
ただ願わくは ご憂慮なさらないでください 佛の滅後の 恐ろしき悪世の中
に於て 我等はしっかりこの法華経を広く説きます 諸々の無知な人々は こ
れを悪いと言って罵声を浴びせたり そればかりか木刀などで危害を加える者
すらあるでしょう 我等はそれらに対し皆まさに忍ばなければなりません 悪
世の時代の比丘は 邪智にして心がけが湾曲している故に 未だ知らないこと
をあえてこれを知り得ていると思い込んだり 我がままで増上慢な心があちこ
ちに充満しかねません 或いは索漠と荒れ果てた山の中でぼろきれの袈裟を着
て人けもない静かな所に身を置き 人間を見かけては軽蔑するような者が居か
ねません。
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3. 今 日 の 謎 ! (滅)
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まず、今日の謎を整理して見ることにしましょう!
その謎1:この偈を説く菩薩たちは余計目に悪世の比丘たちへの批判体制を強め
て、やけを起こしているように思われるのではないでしょうか?
その謎2:菩薩たちは広く説くと共に、耐え忍ぶ決意を誉められ認めてもらいた
いのでしょうか?
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ぶっけん成安田 (水曜日, 13 12月 2017 13:45)
世の中が間違えているなら、それについて何でも口に出して話し合える場があったらよいと思いますよね。
しかし、通常それは宗教の集まる場ではなくて政治の集まる場なのですよね。
ですから、何でも思い付いたままにすぐに話し合って解決を図る場は政治的な場所と考えるべきですよね。
ところで、なぜ政治と宗教は分離されるのかという基本的な問題ですが、それを行政上や法律上区分されていると考えるのは何も話にはなりません。
そのために、先ず最初は疑問に対し慎重に対処し、それから関連した書物などを読んで調べる、それから自分でもブログなどに書いて公表してみる。そして、最終的な完成型として当初の疑問解決の意味を自分の言葉で整理して誰に対しても意見できるようになる。それが宗教の教えなのです。
ところで、完成された段階の宗教の場へ政治関係者として誰かが話し合いに共存しているのではないかと思いますね。
しかし、それでも宗教と政治は違うのです。
これについては宇宙原理の規模で違うと考えるべきなのです。
宗教と政治の区分を人類の歴史が忘れてしまったことはないのです。
(ぶっけん成安田)