★★ きょうの謎!
その謎1:佛子と諸々の菩薩とはどのような関係でしょうか?
その謎2:佛道を去ること甚だ遠しと説く、とは方便して説くという意味でしょうか?
■■第8-8日 Vol.204
自ら是れ聲聞なり 佛道を去る
【五百弟子受記品第八】
(四十二~四十七行)
■■今日の一偈一句
ソ トキ セソン カサ コ ギ ノ ホッ ゲ ト ノタマ
爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく
モロモロ ビク アキラ キ ブッシショギョウ ドウ ヨ ホウベン ガク ユエ シギ
諸 の比丘諦かに聽け 佛子所行の道は 善く方便を學せるが故に 思議す
ウ シュ ショウボウ ネガ ダイチ オソ シ コ
ることを得べからず 衆の小法を樂つて 大智を畏るることを知れり 是の
ユエ モロモロボサツ ショウモン エンガク ナ ムシュ ホウベン モッ モロモロ シュジョウルイ ケ
故に諸の菩薩 聲聞・縁覺と作り 無數の方便を以て 諸 の衆生類を化し
ミズカ コ ショウモン ブツドウ サ ハナハ トオ ト
て 自ら是れ聲聞なり 佛道を去ること甚だ遠しと説く
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1. 今 日 の 解 読 ! (苦)
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その時に世尊は、重ねてこの義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく
諸々の比丘よ真実として聴け 佛子がする所による行いの道は 正しい道徳に
よる方便を学するが故に 思議することを何も得る必要がないのである ただ
大衆の小法を望むことは 大乗を怖れていることを知っているだけである こ
の故に諸々の菩薩は あえて聲聞や縁覚の身となって見せ 無数の方便を用い
て 諸々の衆生類を教化して 彼らは自ら我は聲聞なりといい 佛道を離れ去
ることもうすでにかなりの歳月が経ってしまったものだと説くのである
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2. 今 日 の 説 法 ! (集)
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前品の化城諭品にて釈迦は比丘に対し大通知勝佛の伝説を教えていましたが、こ
の品も同じく比丘に対して、富楼那がどういう意味で授記をされるのかを教えて
いました。
前回までに釈迦は、この富楼那彌多羅尼子が無量阿僧祇劫を過ぎて法明如來とな
るこの国土の未来像は、ここに住む衆生は法喜食と禅悦食の二食ある特別の特徴
があり、今この娑婆国という名が未来の宝明劫の時代には善淨国となり、そこに
住む法明如來の佛の寿命は無量阿僧祇劫であって、その法明如來の滅後にはこの
国中あらゆる所に七宝の塔が起つようになるという富楼那への授記の内容を比丘
たちへ詳しく伝えていました。
今回釈迦は、以上の義を重ねて宣説しておきたいとのことで、偈頌を説かれて述
べ始められたのです。
諸々の比丘たちよこれを真実として明瞭に聴くことだ 佛子の所行する佛道は
道徳的な善なる方便を修学するものであるために 思考したり議論を得よう
とするものではないのだ ただ大衆が小法を願って望むことであって それが
大乗を恐れていることだということを知っているのだ このためにさまざまな
菩薩たちは あえて声聞や縁覚に身を変えて 無数の種類の方便を使って 種
類さまざまな衆生類を教化する際に 彼らは自らを声聞の身であるとし 実は
佛道をあきらめてこのかた遠い昔のことであるとして説法を始めるのである
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3. 今 日 の 謎 ! (滅)
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まず、今日の謎を整理して見ることにしましょう!
その謎1:佛子と諸々の菩薩とはどのような関係でしょうか?
その謎2:佛道を去ること甚だ遠しと説く、とは方便して説くという意味でしょ
うか?
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ぶっけん (金曜日, 08 12月 2017 09:51)
今日12月8日はお釈迦様の悟りの日と言われています。
お釈迦様はこの日一体どんな大きな悟りを開かれたのでしょう?
何かを悟る前には必ず大きな疑問を生じていたはずです。
その大きな疑問は明らかな現象としてすでに前々からも長らく現れていたはずなのです。
悟るとは明らかな実証となる現象を観ていることでもあります。
ただ頭の中で渦巻いていただけの疑問ではないのです。
悟りとは日頃私たちすべてを包み込んでいる大気現象のように目の当たりにしているそのものなのです。
(ぶっけん)
ぶっけん (水曜日, 08 8月 2018 15:03)
今朝まだ暗いうちに外へ出て見上げると、綺麗な三日月が晴れた東の空に浮かんでいる満天の星空だった。
各星がチカチカゆっくり点滅し地球にシグナルを与えているかのようだ。
宇宙にも銀河星雲のように星の密集地とそうでない単独に光る過疎地とがあるのだなあ。
この世の神と仏を繋げているのはきっとロマンチックな夜空の星たちなんだろうな!
神と仏の複雑な関係をこの朝方の星空に覗き見た感じだ。