第8-6日 Vol.202  其の佛常に虚空に處して 【授記品第六】(四十五~五十一行)

法華経 授記品第六


★★ きょうの謎!
   
その謎1:大弟子たちが将来に如来となっても、その住む国が安定しきっていて何の不具合

     もなければ如来の用をなさないのではないでしょうか?
   
その謎2:佛の壽十二小劫の本来の意味はどういうものでしょう?
  

 

 

■■第8-6日  Vol.202
 
 其の佛常に虚空に處して
 
  【授記品第六】
  (四十五~五十一行)
 
■■今日の一偈一句
 
 ソ ドビョウジョウ  ハリ  ジ ナ  ホウジュショウゴン モロモロ クキョウ シャリャク キョウコク
 其の土平正にして頗黎を地と爲し、寶樹莊嚴して、諸 の丘坑・沙礫・荊棘・
 
 ベンリ ケガ    ホウケジ オオ  シュヘン  ショウジョウ   ソ ド ニンミンミナホウダイチン
 便利の穢れなく、寶華地に覆い、周遍して清淨ならん。其の土の人民皆寶臺珍
 
 ミョウ ロウカク ショ  ショウモン デシ ムリョウムヘン    サンジュ ヒユ  シ   アタ
 妙の樓閣に處せん。聲聞の弟子無量無邊にして、算數・譬諭の知ること能わざ
 
  トコロ   モロモロ  ボサツシュ ムシュセンマンノク ナユタ    ホトケ ジュ  ショウコウ ショウ
 る所ならん。諸 の菩薩衆、無數千萬億那由他ならん。佛の壽は十二小劫、正
 
 ボウヨ ジュウ     ショウコウ ゾウボウマタジュウ   ショウコウ    ソ ホトケツネ コ
 法世に住すること二十小劫、像法亦住すること二十小劫ならん。其の佛常に虚
 
 クウ ショ  シュ タメ ホウ ト    ムリョウ ボサツオヨ ショウモンシュ ドダツ
 空に處して衆の爲に法を説いて、無量の菩薩及び聲聞衆を度脱せん。
    
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  1. 今 日 の 解 読 !  (苦)
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その国土は、正しく平坦で頗黎(はり:水晶)を地となし、宝樹が荘厳されてお
 
り、諸々の段差やでこぼこ・砂利や瓦礫・尖った刺・不浄な排泄や汚物のけがれ
 
がなく、宝の華が地面を覆い、辺り一面に隅々まで清淨である。その国土の人民
 
は皆宝台上の珍妙な楼閣に身を置いている。声聞の弟子が無量無辺に居て、算数
 
・譬諭の知る所ではない。諸々の菩薩衆は、無数千萬億那由他である。佛の寿命
 
は十二小劫、正法にて世に住まうこと二十小劫、像法もまた住まうこと二十小劫
 
である。その佛は常に虚空に身を置き衆の為に法を説いて、無量の菩薩及び声聞
 
衆を度脱させている。
 
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  2. 今 日 の 説 法 !  (集)
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これは前回に、釈迦が四大弟子のうち二番目の授記を須菩提へ与えている儀式の
続きです。
前回、釈迦は須菩提へ當来世に於て最後身にて名相如來となる名号と有宝という
劫と宝生という国の名を授けました。
 
今回はその国土の形態について、穏やかな平坦な形状をなし、その地は水晶でで
きているそうで、宝の樹木で荘厳されていて、地面のさまざまな段差やでこぼこ、
そして砂利や瓦礫なくず、尖った危険な刺、不浄な汚物などのけがれたものがな
く、宝の華が地面を覆い、辺り一面に国の隅々まで清浄であると説明しています。
 
なおその国民は皆が宝の化粧された台の上に珍妙に建てられている楼閣に身を置
いているのだそうです。
また声聞の弟子は無量無辺ほど居て、この数は数字計算や比喩の概算でも計り知
ることはできないほどだそうです。
そしてさらに諸々の菩薩衆は、無数千萬億那由他という膨大な数が居るそうです。
 
その名相如來の寿命は十二小劫、正法に於て世に住むこと二十小劫、像法もまた
世に住むこと二十小劫だそうです。
その名相如來は常に虚空に身を置いて衆生の為に法を説いて、無量の菩薩及び声
聞衆を悟りに導いているそうです。
 
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  3. 今 日 の 謎 !   (滅)
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さて、今日の謎を整理して見ることにしましょう!
   
その謎1:大弟子たちが将来に如来となっても、その住む国が安定しきっていて
     何の不具合もなければ如来の用をなさないのではないでしょうか?
   
その謎2:佛の壽十二小劫の本来の意味はどういうものでしょう?
 


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法華経 序品第一

 

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8-6

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コメント: 3
  • #1

    ぶっけん成安田 (月曜日, 06 8月 2018 17:55)

    人として生きる道を
    発心できる者もいれば
    発案できる者もいれば
    発動できる者もいる!

  • #2

    ぶっけん成安田 (月曜日, 06 8月 2018 17:56)

    この世は悪が支配しているというのは真実ではないのです。
      
    そもそも神が創った確かなこの世が最初にあって、それに背いた者たちがこの世の外まで大きくはみ出して行っただけなのです。
    その大きくはみ出した分は神も困っており、困ったものを作り出してしまった一切衆生の責任としてそれを直す仕組みや智慧を与えているのが仏の教える宇宙の真実であるということを知ることなのです。

  • #3

    ぶっけん成安田 (月曜日, 06 8月 2018 17:57)


    「人生と生き方」

    人として生きる道があるのなら、その道中でどのようして生きるのか?その方法にはこれぞという具体的なものがあるのでしょうか?
    その具体的な例として貴重に記したものが例えば宗教なのかもしれませんね。

    そしてまた、その人生の道には思いも寄らないどんな事が起きるかをヒントのように記されているのも宗教なのでしょう。

    なお、宗教以外にも多種多様な人生の道が残されているでしょうが、誰にも公開して普及を呼び掛けているのが宗教なのでしょう。
    そうであれば、人生とは宗教、そしてその道の中でどのように生きていくかは生き方という様々な方法論を各々が試みて実践していくという事になるのでしょう。

    新たな道を築くよりも新たな生き方の試作に人生を賭けてみませんか?