第7-25日 Vol.193  二人の福、正等にして異なることなけん 【観世音菩薩普門品第二十五】(三十六~四十二行)


 
★★ きょうの謎!
 
その謎1:観世音菩薩の名號を受持する功徳は、例えば隨喜功徳品第十八で釈迦が弥勒菩薩

     へ比較に用いて説いた衆生一人一人に阿羅漢果を得させる大施主の功徳と同じだ

     ということでしょうか?
 
その謎2:言われた通りの難しい苦労を行なうことも、言われた通りの楽で簡単な方法を行

     なうことも同じ結果を生ずるという教えなのでしょうか?
 
その謎3:「百千万億劫に於ても窮め盡くすべからず」とは、難しく考えすぎてはいけない

     という意味でしょうか?
 
その謎4:無量無辺の福徳とは、多いさ無限で、かつ広さ無限という、つまり量と面積など

     の種類の違う両方の福徳という意味でもあるのでしょうか?
 
その謎5:功徳と福徳は違うのでしょうか?
 
 
■■第7-25日 Vol.193
 
 二人の福、正等にして異なることなけん
 
  【観世音菩薩普門品第二十五】
   (三十六~四十二行)
 
■■今日の一偈一句
 
 ムジンニ  モ ヒト      オクゴウガシャ ボサツ ミョウジジュジ マタカタチ ツ    オン
 無盡意、若し人あつて六十二億恒河沙の菩薩の名字を受持し、復形を盡くすまで飲
 
 ジキ エブク ガグ イヤク クヨウ   ナンジココロ オイ イカン  コ ゼンナンシ ゼンニョニン クドク
 食・衣服・臥具・醫藥を供養せん。汝が意に於て云何、是の善男子・善女人の功徳
 
 オオ  イナ  ムジンニ モウ   ハナハ オオ  セソン ホトケ ノタマ   モ マタヒト   カンゼ
 多しや不や。無盡意の言さく、甚だ多し、世尊。佛の言わく、若し復人あつて觀世
 
 オンボサツ ミョウゴウジュジ  ナイシ ジ ライハイ クヨウ    コ  ニン フク ショウトウ  コト
 音菩薩の名號を受持し、乃至一時も禮拝し供養せん。是の二人の福、正等にして異
 
           マンノッコウ オイ  キワ ツ        ムジンニ カンゼオンボサツ
 なることなけん、百千萬億劫に於ても窮め盡くすべからず。無盡意、觀世音菩薩の
  
 ミョウゴウジュジ   カクゴト ムリョウムヘン フクトク  リ エ
 名號を受持せば、是の如き無量無邊の福徳の利を得ん。
 
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  1. 今 日 の 解 読 !  (苦)
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無盡意菩薩よ、もしある人がいて六十二億恒河沙の数の菩薩の名前を受持し、また形
 
を尽くすまで飲食物・衣服・臥具・医薬をもって供養したとしよう。汝が心に正直に
 
答えてみよ、この善男子・善女人の功徳は多いだろうかそうでもないだろうか。無盡
 
意の答えは、甚だに多いに違いありません、世尊様。それに対し佛の申すには、もし
 
またある人がいて觀世音菩薩の名號を受持し、しばらく一時も禮拝し供養したとしよ
 
う。この二人の福は、正等にして異なることはない、百千萬億劫に於てもこれが本当
 
かどうかを見極め尽くすことなどしてはいけない。無盡意、觀世音菩薩の名號を受持
 
せば、このような無量無辺の福徳の利を得るのだ。
  
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  2. 今 日 の 説 法 !  (集)
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前回までは、佛は無盡意菩薩に対し観世音菩薩の名號を受持して唱えることの多くの
ご利益について説きました。
 
今回佛は、その無盡意菩薩に一つの質問を問いかけました。
それは、ある人が六十二億恒河沙という膨大な数の菩薩一人一人の名號を大切に受持
していて、その菩薩たちすべてへ形が尽きるまで飲食や衣服、さまざまな高級な道具、
医薬などを提供し一生懸命供養したとする場合、この善男子或は善女人の功徳はとて
も多いものだろうか、それともそれほどのものではないのだろうかかということでし
た。
 
無盡意は答えました。
それは甚だ多いことでありましょう、世尊様。
それに対し佛は言いました。
この人の功徳は、またある人が観世音菩薩の名號を受持し、たとえ一時の間でもしっ
かり礼拝供養した時の利徳と全く変わらない、正等なのである、そして、これが本当
なのかどうかを百千万億劫を掛けてでも確かめようなどとしてはならないのである、
と。
 
佛は無盡意に対し、ただ単に観世音菩薩の名號を受持するだけで、これくらい無量無
辺の福徳の利を得ることができるということを教えたのでした。
 
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  3. 今 日 の 謎 !   (滅)
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まず、今日の謎を整理して見ることにしましょう!
 
その謎1:観世音菩薩の名號を受持する功徳は、例えば隨喜功徳品第十八で釈迦が弥
     勒菩薩へ比較に用いて説いた衆生一人一人に阿羅漢果を得させる大施主の
     功徳と同じだということでしょうか?
 
その謎2:言われた通りの難しい苦労を行なうことも、言われた通りの楽で簡単な方
     法を行なうことも同じ結果を生ずるという教えなのでしょうか?
 
その謎3:「百千万億劫に於ても窮め盡くすべからず」とは、難しく考えすぎてはい
     けないという意味でしょうか?
 
その謎4:無量無辺の福徳とは、多いさ無限で、かつ広さ無限という、つまり量と面
     積などの種類の違う両方の福徳という意味でもあるのでしょうか?
 
その謎5:功徳と福徳は違うのでしょうか?
 

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法華経 序品第一

 

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7-25

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コメント: 1
  • #1

    ぶっけん成安田 (土曜日, 25 11月 2017 10:34)

    無量無辺の福徳の利とは何かを少し考えてみましょう。
    無量無辺とはありとあらゆる限りない規模というイメージですね。
    ところで、これはどこまでも際限の無い量と辺のことでありましょうから、その量とは質量、そして辺とは辺り一面の距離、つまりこれは物質的大きさと面積的広大さの同時両面の規模を示していることに気付かれると思います。
    つまり、この無量無辺の福徳の利とは実は物質的宝と影響力の両方が複合された、種類に限定されない福利であるという意味になるでしょう。
    これは、あたかも多宝仏と釈迦仏の二仏両方が合わされた福であることを意味しているように思えてくるのです。
     
    (ぶっけん 成安田)