★★ きょうの謎!
その謎1:釈迦は、上行等の地涌の大菩薩大衆に対しては、将来に如来が居なくともこの法
華経に記されていることだけでしっかり修行していける意味を告げているので
しょうか?
その謎2:どんな諸佛や如来による大神力の不可思議な威力も、法華経に記されているすべ
ての真実には到底、敵わないということなのでしょうか?
■■第7-21日 Vol.189
是の中に皆塔を起てて供養すべし
【如來神力品第二十一】
(三十五~四十一行)
■■今日の一偈一句
ショザイ コクド モ ジュジドクジュ ゲセツ ショシャ セツ ゴト シュギョウ モ キョウガン
所在の國土に、若しは受持・讀誦し、解説・書寫し、説の如く修行し、若しは經巻
ショジュウトコロ モ オンチュウ オイ モ リンチュウ オイ モ ジュゲ オイ
所住の處あらん。若しは園中に於ても、若しは林中に於ても、若しは樹下に於ても、
モ ソウボウ オイ モ ビャクエ イエ モ デンドウ ア モ センゴク
若しは僧房に於ても、若しは白衣の舍にても、若しは殿堂に在つても、若しは山谷
コウヤ コ ナカ ミナトウ タ クヨウ ユ エ イカ マサ シ コ
・曠野にても、是の中に皆塔を起てて供養すべし。所以は何ん、當に知るべし、是
トコロスナワ コ ドウジョウ ショブツココ オイ アノクタ ラ ミャク ボダイエ ショブツココ オイ ホウ
の處は即ち是れ道場なり。諸佛此に於て阿耨多羅三藐三菩提を得、諸佛此に於て法
リン テン ショブツココ オイ ハツネハン
輪を轉じ、諸佛此に於て般涅槃したもう。
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1. 今 日 の 解 読 ! (苦)
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汝らが所在する国土の中に、たとえば受持・読誦し、解説・書写し、説の通りに修行
したり、若しくは経巻の置かれている場所がある。そうでなくとも或るいは園中に於
ても、若しくは林中に於ても、若しくは樹下に於ても、若しくは僧房に於ても、若し
くは白衣(びゃくえ:在家の仏教徒)の家にても、若しくは殿堂に在っても、若しく
は山谷・広野にても、この中に皆塔を起てて供養すべし。これはどうしてか、まさに
知るべし、この場所は即ちこれ道場である。諸佛はここに於て阿耨多羅三藐三菩提を
得、諸佛はここに於て法輪を転じ、諸佛はここに於て般涅槃(はつねはん:完全な涅
槃・完全な境地・滅度)したのである。
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2. 今 日 の 説 法 ! (集)
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前回では、釈迦牟尼佛が天上界の諸天によりはじめて十方世界に紹介され、その虚空
の中の声を聞いた十方世界の一切衆生は今釈迦の居る娑婆世界へ数限りない宝物を各
地から投げ入れるように、娑婆世界上空に雲の集まるが如くに散りばめられた宝物は、
諸佛の頭上を宝の網となって覆い尽くしました。
今回、そのように娑婆世界中心に十方世界すべてが一時のうちに一佛土のように一体
化となった時、釈迦は上行などの地涌菩薩大衆に告げ賜わりました。
「 諸佛の神力はこのように無量無辺不可思議であろう。しかし、我れがたとえこの
神力を用いて、無量無辺百千万億阿僧祇のとても長き劫をかけてでも、汝らのへ委嘱
を図るがためにこの法華経による功徳をどんなに説明しようとも、なお完全に説き尽
くせることではないのである。
肝要にしてこれを言うならば、如来の存在するが故の一切の法・如来の自在の行使の
ための一切の神力・如来の特有な教法の秘密の蔵・如来の甚大で深い瞑想の一切の事
・を皆この法華経において宣(のべ)られ、示され、顕され、そして説かれていると
いうことだ。
この故に汝らは如来の滅後においては、これをしっかりと受け止めて、まさに一心に
この法華経を受持・読誦し、解説・書写し、その説のままに修行をするのだ 」と。
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3. 今 日 の 謎 ! (滅)
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まず、今日の謎を整理して見ることにしましょう!
その謎1:釈迦は、上行等の地涌の大菩薩大衆に対しては、将来に如来が居なくとも
この法華経に記されていることだけでしっかり修行していける意味を告げ
ているのでしょうか?
その謎2:どんな諸佛や如来による大神力の不可思議な威力も、法華経に記されてい
るすべての真実には到底、敵わないということなのでしょうか?
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ぶっけん成安田 (火曜日, 21 11月 2017 12:11)
神の計らい ⇒ 仏の解明(悟り)⇒ 諸天善神の監査 ⇒ 諸仏の智慧(涅槃)
神と仏の各々の教えはこの私たちの地上の仕組みの中では今更別々ではなく、一体化していると考えてよいでしょう。
それは今日の如来神力品から明らかに知ることができるのです。
この如来神力品では、仏教修行者が居て、仏教経典が置かれている場所、またはそれ以外にも林中、樹下、僧房、白衣の家、殿堂、山谷、広野のどの中にも塔を建てて供養せよと教えています。
この塔を建てて供養せよとはこの塔が供養の対象物なのであり祈りの象徴になっているという意味です。
即ち日ごろ仏教信者の供養の対象となるのは仏でありその仏のことを如来とも言うのでありまして、その如来がなんと神力であるというわけですから、その対象物となる塔は神の力であることを意味しているに違いないということが解かってくるのです。
それが塔を起てた場所がどこでも皆、即ち道場であると結論付けている今日の如来神力品ということなのです。
(ぶっけん 成安田)
安田 和正 (木曜日, 20 11月 2014 21:59)
本来の私たちは何を真実への依存の根拠としてこの世のあるべき意味を知るべきかと申し上げれば、実にこの法華経のみから自ら知ることができるということになるのでしょう!