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第7-3日 Vol.171  亦方便を以て説きたもう 【比喩品第三】(三十六~四十四行)

法華経 譬喩品第三

 

★★ きょうの謎!
 
その謎1:舍利弗は釈迦の言いたいことを完全に理解できたのでしょうか?
 
その謎2:現実は綺麗事ではない、されど至りつくところは綺麗事でなければ済まな
     いような、言葉にし難いところが方便なのでしょうか?
 
 
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■■第7-3日 Vol.171
 
 亦方便を以て説きたもう
 
  【比喩品第三】
  (三十六~四十四行)
 
■■今日の一偈一句
  
  ホトケダイシュナカ オイ  ワレマサ サブツ    ト     カク ゴト ホウオン キ
  佛大衆の中に於て 我當に作佛すべしと説きたもう 是の如き法音を聞きたてま
  
      ギケコトゴ スデノゾコ  ハジ ホトケ ショセツ キ  シンチュウオオイ キョウギ  マサ
  つりて 疑悔悉く已に除りぬ 初め佛の所説を聞いて 心中大に驚疑しき 將に
  
  マ ホトケ ナ    ワ ココロ ノウラン   アラ   ホトケシュジュ エン ヒユ  モッ タク
  魔の佛と作つて 我が心を惱亂するに非ずやと 佛種種の縁 譬喩を以て巧みに
  
  ゴンセツ     ソ ココロヤス   ウミ ゴト ワレキ  ギモウダン   ホトケト
  言説したもう 其の心安きこと海の如し 我聞いて疑網斷じぬ 佛説きたまわく
  
  カコ セ  ムリョウ  メツド ホトケ ホウベン ナカ アンジュウ マタ ミナコ ホウ ト
  過去世の 無量の滅度の佛も 方便の中に安住して 亦皆是の法を説きたまえり
  
  ゲンザイミライ ホトケ ソ カズハカ    ナ   マタ モロモロ ホウベンモッ  カク ゴト ホウ
  現在未來の佛 其の數量りあること無きも 亦諸 の方便を以て 是の如き法を
  
  エンゼツ     イ マ セソン ゴト  ショウ     ヨ  オヨ シュッケ トクドウ ホウリン
  演説したもう 今者の世尊の如きも 生じたまいし從り及び出家し 得道し法輪
  
   テン       マタホウベン モッ ト
  を轉じたもうまで 亦方便を以て説きたもう
    
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  1. 今 日 の 解 読 !  (苦)
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 佛は大衆の中に於て 我自身で間違いなく作佛すべしと説きたもう このような法
 
 音を聞きたてまつりて 疑悔(ぎけ:疑惑・心労・意気喪失・疑惑と動揺と)はこ
 
 とごとくすでに除かれました 初めは佛の所説を聞いて 心中大いに驚疑しました
 
  これはまさに魔の佛となって 我が心を悩乱するにあらずやと ところで佛はさ
 
 まざまな種類の因縁や たとえの話を用いて巧みに言説しておられました その真
 
 心の安らかなること海の如しでありました 我はそれを聞いて疑網を断つことがで
 
 きたのです 佛が説かれていたことですが過去世の 無量に存在する滅度の佛も 
 
 方便の仕組み中に安楽に心を定めて 同じようにして皆この法を説いてきている 
 
 現在や未来の佛も その数はかり知れないまでも また諸々の方便を用いて この
 
 ように法を演説するであろう 今何者かの世尊たる者も 生まれ落ちてより説に従
 
 ったままに出家し 佛道を得て説法を展開するにいたるまで 同じく方便を用いて
 
 説いてきたのだと
 
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  2. 今 日 の 説 法 !  (集)
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ところで前回は、舍利弗は実はもう死んでしまっていて、あの世から釈迦の御声を聞
いているのではないだろうかという想定を考えてみましたね。
実際にある記述によれば、舍利弗は釈迦より早く数年前に先に死去していたというこ
とが書かれていました。
 
それが実際の話であるなら、最も身近にいた直弟子のほうが先に佛になってしまうと
は、これはまた笑い事でもない、釈迦自身がすでに佛として、また単に一緒に年老い
るまで厳しい修行を誓った師弟の間柄としても痛々しい最後の別れを生じたわけです。
 
弟子の中でも一番、聞き分けが無く、自分勝手なようなところもあったと思える舎利
弗ですが、その名前までが舍利、すなわち遺骨であり、そして人偏のない弗なのです。
そのようにからかい半分にも心底憎まれて、そして親しまれていた弟子だったのかも
しれません。
 
そして、この法華経が実際にそのような現実と思える釈迦と弟子の状況をテーマに教
えを作成してきたのだと考えますと、それでも教えは教えであり、あたかも生きてい
るのか死んでいるのか、どちらとも考えられる二重の想定がここでは描かれているも
のと思います。
 
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あれほど佛に成りたがっていた舍利弗が先に亡くなってしまうという不幸の哀しさが
ここでは一つ考えられますが、それと共に死ぬ生きるという問題でもない厳しさが、
修行としての成佛といいうことなのでありましょう。
 
もし、確かな教えを得れずに死んだなら、教えを提供していた釈迦もさぞ悔やんだこ
とでしょう。
それでも最後の息引き取るまで、舍利弗は必ず作佛できると願いを託した釈迦の親心
がにじみ出てくるような思いも一面感じられるようですね。
 
明るく逝こうじゃないか、そんな感じも釈迦の方便に表れてきているようです。この
世の自然に接し合わせた解脱の得方を教えたい、それが歴代過去の滅度の佛、誰もの
願いだったのかもしれません。
 
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  3. 今 日 の 謎 !   (滅)
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まず、今日の謎を整理して見ることにしましょう!
 
その謎1:舍利弗は釈迦の言いたいことを理解できたのでしょうか?
 
その謎2:現実は綺麗事ではない、されど至りつくところは綺麗事でなければ済まな
     いような、言葉にし難いところが方便なのでしょうか?
 


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法華経 序品第一

 

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7-3

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コメント: 2
  • #1

    ぶっけん (金曜日, 03 11月 2017 10:18)

    今日は文化の日ですね。
    文化とは大切なことは文字などの記録に残して伝えていく傾向を作り上げていこうとする運動の始まりですよね。
    だから、ある意味では大切な生き方は自立して各々自らが記憶していこうという願いがあるようです。
     
    釈迦と大弟子舎利弗の大きな対立は恐らく釈迦が滅度を迎える少し前に起きたようです。
    釈迦は一度舎利弗を激しく突き放し、すでにこれからは自立して自分自身で作仏することだと教えています。
     
    実際は舎利弗の方が釈迦より少し前に亡くなったらしいですが、釈迦は舎利弗に対し生涯教えてきたことは直接の真実のことではなく方便に強くなることだったのです。
    この世を安定して渡っていくには方便しかないのが釈迦及び過去からの仏すべての結論だったのです。
     
    舎利弗へは遠い過去から方便を用いて教えてきたのにその大切さをすでに忘れているなら、釈迦はもう一度生まれ変わってでも方便の必要性の意味を根本から舎利弗へ教えることにしたのです。
    その意味修得への厳しさの答えは自ら作仏させることだったのです。
     
    (ぶっけん)

  • #2

    ぶっけん成安田 (金曜日, 13 7月 2018 17:26)

    安全第一
    これだけで仕事を出来なければプロとは言えない!