★★ きょうの謎!
その謎1:弥勒菩薩の疑念は、佛でありながら神変(神通力)の相を示したことへの根本的
な異義や場違いの責任追及にあるのでしょうか?
その謎2:弥勒菩薩は釈迦を反逆者のように疑って掛かるべきと決意したと考えて良いので
しょうか?
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■■第7-1日 Vol.169
何の因縁を以て此の瑞ある
【序品第一】
(四十四~四十九行)
■■今日の一偈一句
ソ トキ ミロクボサツ コ ネン ナ イ マセソン ジンベン ソウ ゲン ナン インネン
爾の時に彌勒菩薩是の念を作さく、今者世尊、神變の相を現じたもう。何の因縁を
モッ コ ズイ イマブツセソン マイ イ コ フカ シギ ケウ ジ ゲン
以て此の瑞ある。今佛世尊は三昧に入りたまえり。是の不可思議に稀有の事を現ぜ
マサ モッ タレ ト タレ ヨ コタ モノ マタコ ネン ナ コ
るを、當に以て誰にか問うべき、誰か能く答えん者なる。復此の念を作さく、是の
モンジュシリ ホウオウ ミコ スデ カツ カコ ムリョウ ショブツ シンゴン クヨウ カナラ コ ケウ
文殊師利法王の子は、已に曾て過去無量の諸佛に親近し供養せり。必ず此の稀有の
ソウ ミ ワレ イママサ ト
相を見るべし。我今當に問うべし。
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1. 今 日 の 解 読 ! (苦)
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その時に彌勒菩薩はこの念を思った、今何者なのか世尊は、確かに神変(じんべん:
神通力のこと・奇蹟的な)の相を現じさせた。しかし何の因縁をもってこの瑞(ずい
:神変の相のこと・前兆・めでたいしるし)があるのだ。今佛の世尊は三昧に入られ
た。この不可思議な儀式場面に稀有(けう:驚異的な・めったに有り難い・かつてな
い大それた・変り種)の事を現じたことを、まさにここで誰に対して問うたらよいの
か、誰が詳しく答える者になるのだろう。またこの念をなした、この文殊師利法王の
御子は、すでにかつて過去無量の諸佛に親近し供養している。必ずこの稀な意義の相
を過去に見る機会があったはずだ。我は今正当に問うべきだ。
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2. 今 日 の 説 法 ! (集)
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前回まで、釈迦は大衆の前で無量義経を説き終ると無量義處という三昧に入り天の華
を降らせ普く佛世界を六種に震動させた後、眉間白毫相の光を放ち遥か東方一万八千
の世界を照し、その世界の衆生の今そこで暮らしている状況のすべてを映し出したの
でした。
今回は、その時そこにはじめて弥勒菩薩が現れました。
弥勒菩薩はさっそく、たった今、何者かと思わせるような釈迦世尊の現じた神變の相
は一体なんであるのか?どういう理由でこの状況が発せられたのか?今、佛の釈迦世
尊は三昧に入って身動きせずにおられるが、この不可思議にも滅多にない大衆が動揺
するほど驚異的な事を現した意味は何であるのか?誰にこれを問えばよいのか?誰か
詳しく説明できる者はいないのか?という疑念と共に脅威を感じ出していました。
そして、弥勒菩薩はまたこのように気づきました。
ここに居る文殊師利法王の御子なら、すで過去において無量の諸佛に親近し供養して
きている者だ、彼なら必ずこの奇妙な相を過去に見ているはずだ。
弥勒菩薩は、今この場ですぐさま質問すべきと決意したのでした。
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3. 今 日 の 謎 ! (滅)
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まず、今日の謎を整理して見ることにしましょう!
その謎1:弥勒菩薩の疑念は、佛でありながら神変(神通力)の相を示したことへの
根本的な異義や場違いの責任追及にあるのでしょうか?
その謎2:弥勒菩薩は釈迦を反逆者のように疑って掛かるべきと決意したと考えて良
いのでしょうか?
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安田 和正 (水曜日, 12 11月 2014 23:50)
釈迦は無量義経を説き終わると、その意味を大衆の目に見せるかのようにその場の娑婆世界から東方一万八千の世界の状況をリアルに映し出して見せたのです。
つまり、それ自体が今此岸に居ながらにして彼岸をわかるように見せたということだったのかもしれません。
ぶっけん (水曜日, 01 11月 2017 08:50)
弥勒菩薩は釈迦仏の眉間から放たれた光りの怪しさについて鋭く疑念を持ち始めました
なぜなら、その光は法華経の始まりにおける法華ではなく無量義の光だったからです
無量義とはコラボレーションのようにバラバラに拡散していく端末のような光のことだと思います
その光束には何ら統率の意味がなく、別々に混じり合って追随して放たれていくかのような奇妙さを弥勒菩薩は感じたのではないでしょうか?
そして、弥勒菩薩はそれを神変相の光りだと言っています
無量義が神変の光りであるならば、神が生命あるものを各々別々に創っていることを主張していることなのかもしれませんね
ところで、なぜ法華経の序品の章で無量義経の光りが放たれたのでしょう?
ずばり、成仏への結論は何を隠そう無量義経であるとあっけらかんと最初に説かれているのです
ところで、仏教において結論を一番先に持ってくるという手法があっけらかんと用いられている意味は、この法華経の一番最初の序品第一の章で描かれているわけで、その序品第一が法華経編纂の後で導入された章であることが明らかであるからです
つまり、神との新たな調和で西暦紀元が始まったことに対する仏教の再始動テーマでもあったと考えられるのです
この時が重要な法華経編纂の変化対応です
(ぶっけん成安田)