第6-16日 Vol.156  是の人の爲に我少くして出家し 【如来寿量品第十六】(三十~三十四行)



★★ きょうの謎!
 
その謎1:釈迦は、小乗佛教を主流に願う衆生が多く発生することを一大事の根源と考え

     て、如来になって出現したということになるのでしょうか?
 
その謎2:この釈迦の説く真実と方便の二つの説法に関して、それを聴く衆生にとっては通

     常は逆に四十余年前初めて成道して見せたのが目の当たりの真実で、久遠の昔か

     ら既に成佛していたというほうが方便であるはずと思ってしまうのではないで

     しょうか?
 
 
■■第6-16日 Vol.156
 
 是の人の爲に我少くして出家し
 
  【如来寿量品第十六】
  (三十行~三十四行)
 
■■今日の一偈一句
 
 モロモロ ゼンナンシ ニョライモロモロ シュジョウショウホウ ネガ トクハツクジュウ モノ ミ    コ ヒト タメ
 諸 の善男子、如來諸 の衆生の小法を樂える徳薄垢重の者を見ては、是の人の爲
 
  ワレワカ   シュッケ アノクタ ラ ミャク ボダイ エ   ト  シカ  ワレジツ ジョウブツ
 に我少くして出家し阿耨多羅三藐三菩提を得たりと説く。然るに我實に成佛してよ
 
  コノカタ クオン    カク ゴト  タダホウベンモッ シュジョウキョウケ  ブツドウ イ
 り已來、久遠なること斯の若し。但方便を以て衆生を敎化して、佛道に入らしめん
 
    カク ゴト セツ ナ
 として是の如き説を作す。
 
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
 
______________________________________
 
  1. 今 日 の 解 読 !  (苦)
______________________________________
 
諸々の善男子よ、如來は諸々の衆生の小法を願求する徳薄垢重(とくはつくじゅう:
 
徳が薄く命が汚れている)の者を見ては、この人の為に我は若くして出家し阿耨多羅
 
三藐三菩提を得たりと説いたのだ。しかしながらに我は実には成佛してよりこのかた、
 
久遠なる歳月であることは既に述べたとおりである。ただ方便を用いて衆生を教化し
 
て、佛道に入らしめんとしてこのような説を作り出したのである。
 
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
 
______________________________________
 
  2. 今 日 の 説 法 !  (集)
______________________________________
 
この講演会場に集まっていた諸々の菩薩及び一切の大衆は釈迦へ疑念の質問を訴えか
けた代表の弥勒菩薩と共に当初は釈迦が成道を達成したのはつい四十余年ほど前のこ
とに過ぎないことと、その時の成道の決定で釈迦は初めて阿耨多羅三藐三菩提を得た
ものと信じていたのでした。
 
それを釈迦はこの如来寿量品にて根本から否定するという真実を打ち明けたのです。
その真実とは、つい四十余年前に釈迦は初めて成道に至ったのではなく、本当の釈迦
の始めて成佛した時とは今から過去百千萬億那由他阿僧祇劫以前の大昔のことであっ
たことを伝えたのでした。
 
そして、それを何故今まで教えずに居たのかを前回から引き続き、ここで説明してい
る段階なのです。
 
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
 
その理由として、釈迦は現世に如来としてこの世界へやって来て、この世界の諸々の
衆生の中に小法、即ち小乗の教えを願い求めてやまない徳がはかなく薄く生命のあり
方そのものが濁って汚れている者を見るにつれ、その者の為に本当の正しい生き方を
我が身をもって示すことで教えに誘導しようと、あえて若い時期に佛法を目指す目的
で出家をして、その上にあえて阿耨多羅三藐三菩提を得れるところまでも示して見せ
たというのです。
 
我が身を生きた見本にして、衆生を何とかしてでも佛道に誘導したかったという、そ
れが釈迦の根本的な教え方だったのでしょう。
そして、それが釈迦流の方便を意味していたという事を弥勒菩薩等の善男子へ、それ
が如来の智慧であることの理解をさせようとしているのです。
 
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
 
______________________________________
 
  3. 今 日 の 謎 !   (滅)
______________________________________
 
その謎1:釈迦は、小乗佛教を主流に願う衆生が多く発生することを一大事の根源と
     考えて、如来になって出現したということになるのでしょうか?
 
その謎2:この釈迦の説く真実と方便の二つの説法に関して、それを聴く衆生にとっ
     ては通常は逆に四十余年前初めて成道して見せたのが目の当たりの真実で、
     久遠の昔から既に成佛していたというほうが方便であるはずと思ってしま
     うのではないでしょうか?
 


ご案内

法華経 序品第一

 

★★ 今日も、お読みいただきありがとうございました ★★
 
本日品の続き解明文、【今日の謎!シリーズの答え、解説など詳細満載】
 4. 今 日 の 知 識 !  (道) 5. 今 日 の 解 脱 !  (解)
 6. 今 日 の 振 返 り ! (脱)
は、有料メールマガジン『ぶっけんの毎日ホッ法華経!DM328』のご購読でお読みいただけます。どうぞご活用ください
 
購読料:月々¥840円(消費税込み)・12ヶ月完成シリーズ
ご購読希望の方は、「発行メールマガジン・SNSのご紹介」ページ からお申し込みください。 

6-16

♪ 上記ブログをお読みになった感想でもどんなことでも構いません、今日の一言などを下記フォームへお書きください。

メモ: * は入力必須項目です

コメントをお書きください

コメント: 2
  • #1

    ぶっけん (土曜日, 15 11月 2014 14:16)

    釈迦が身をもって示した成道のあり方は小乗の声聞などにとってはそれこそ真実の成道と思い込んだに違いないのでしょう。
    つまり、釈迦如来の小乗対策への戦法の第一の術は、このように先ず身をもって示すことは真実であると一旦思わせて、その段階ではまだ真実は解き明かさずに本来の正しい大乗佛法の中へ興味付かせたままに誘導して行こうとすることに成功したのです。

  • #2

    ぶっけん (月曜日, 16 10月 2017 09:08)

    何事も実践して見せることが手っ取り早く理解に進みやすいでしょうね
    それが釈迦仏流の導き方なのでしょうが、なかなか他の仏にはできることではなさそうです
    仏には各々に取り組まなければならないこの世で最も困難な問題を抱えているのであり、それをどのように解決したらよいかを永遠に終始しているのです
     
    それに対し釈迦如来はすべての真実を知っているから信じて着いて来いという直接の進みを教える実践型の導き方なのです
    すべての真実を知っているとは、どのような者であっても最初から真実を悟っていた者は居ないということなのです
    皆が努力をして到達したのが真実への道のりなのだと教えているのです
     
    ですから、悟った後で行動を起こすのではありません
    行動を先に起こすことで悟りを得るのです
    その行動とは自分の意志で作動させるのであり、じっと我慢することも重要な行動の一つなのです
     
    時間が止まっているように見えても一刻も着々と変化し続けているのが真実です
    それは悟りがあろうとなかろうとすべてが動いている真実です
     
    (ぶっけん)