★★ きょうの謎!
その謎1:舍利弗の持っていた邪見とはどういうものでしょうか?
その謎2:空法に於て證を得るとはどういうことでしょう?
■■第6-3日 Vol.143
邪を抜き涅槃を説きたまいし
【比喩品第三】
(二十七~三十五行)
■■今日の一偈一句
ワレツネ セソン ミ モロモロ ボサツ ショウタン コレ モッ ニチヤ
我常に世尊を見たてまつるに 諸 の菩薩を稱讃したもう 是を以て日夜に
カク ゴト ジチュウリョウ イマホトケ オンジョウ キ ヨロ シタガ
此の如き事を籌量しき 今佛の音聲を聞きたてまつるに 宜しきに随つて
ホウ ト ムロ シギ ガタ シュ ドウジョウイタ ワレモトジャケン
法を説きたまえり 無漏は思議し難し 衆をして道場に至らしむ 我本邪見
ジャク モロモロ ボンシ シ ナ セソン ワ ココロ シロ ジャ ヌ ネ
に著して 諸 の梵志の師と爲りき 世尊我が心を知しめして 邪を抜き涅
ハン ト ワレコトゴトジャケン ノゾ クウホウ オイ ショウ エ ソ
槃を説きたまいしかば 我悉く邪見を除いて 空法に於て證を得たり 爾の
トキ ココロミズカ オモ メツド イタ エ シカ イマスナワミズカ サト
時に心に自ら謂いき 滅度に至ることを得たりと 而るに今乃ち自ら覺りぬ
コ ジツ メツド アラ モ サブツ エ トキ サンジュウニソウ グ テン
是れ實の滅度に非ず 若し作佛することを得ん時は 三十二相を具し 天
ニン ヤシャシュ リュウジントウクギョウ コ トキスナワ オモ ナガジンメツ ヨ
・人・夜叉衆 龍神等恭敬せん 是の時乃ち謂うべし 永く盡滅して餘なし
と
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1. 今 日 の 解 読 ! (苦)
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我は常に世尊を見たてまつりますに 世尊は諸々の菩薩を賞賛していました
このことを知るにつれて日夜に このような事を籌量(ちゅうりょう:思惟)
いたしておりました 今佛のお声を聞きたてまつりますに 宜しきに随って法
を説いておられます 無漏における思議し難さゆえ 大衆を纏めて道場に至ら
せる 我は本来邪見に執著しており 諸々の梵志(ブラフマンを志す者、バラ
モンの別名でもありバラモン階級出身の僧の意味)の師となっておりました
世尊は我が心を見抜いてくださり 邪見を抜き涅槃を説いてくださると 我は
ことごとく邪見を除くことができ 空の法に於て證(しょう:さとり、証)を
得ることができました その時には心に自ら想いました 滅度に至ることを得
ることができたのだと しかしながら今になって自ら覚りました これは真実
の滅度であるはずはない もしも本当に作佛することを得た時は 三十二相を
具足し 天・人・夜叉衆や 龍神等が恭敬するようになることでしょう この
時が来てやっと想えるでしょう 永久に盡滅してもう遣り残すことは何もない
のだと
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2. 今 日 の 説 法 ! (集)
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舍利弗が普段から世尊を見たて奉っておりますと、世尊は諸々の菩薩に対して誉
め讃えておられました。
舍利弗自身はそれを知らされることがとても辛く、日夜に悩んで思惟していたと
言ってます。
今、佛の御声を聞くところ、宜しきに随った説法で説いていらっしゃる。
無漏ということは本来、思議のし難い境遇であり、大衆形式で道場へ誘っている
のです。
舍利弗は以前、邪見に執著しており、さまざまな梵天王を志す婆羅門の僧を目指
させる師となってしまっていたそうです。
そういう状態を世尊は見抜いてくだされ、舍利弗は邪見をことごとく排除するこ
とができ、空の概念の法において證を得ることができたそうです。
その時、舍利弗は自らに空想したそうです。「滅度に至れたのだ」と。
しかし、今になって自ら目が覚め、これは真実の滅度ではない、もし本当に作佛
することができた時には、三十二相を具足し、天や人、そして夜叉や龍神などが
一斉に恭敬するはずであると、この時になって初めて思えることである、それは
永久に盡滅してもう遣り残すことはすべてない充足を得れるのだと想ったという
のです。
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3. 今 日 の 謎 ! (滅)
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まず、今日の謎を整理して見ることにしましょう!
その謎1:舍利弗の持っていた邪見とはどういうものでしょうか?
その謎2:空法に於て證を得るとはどういうことでしょう?
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ぶっけん成安田 (火曜日, 03 10月 2017 07:36)
宗教組織という一種の法人格を釈迦はどう思っていたでしょう?
仏教など宗教のすべてはそもそも一人一人の心掛けを成長させるものであり、その組織存続は二の次の想定、或いはダミー的な維持が組織、つまり法人なのだと思えます
その釈迦族の組織(サンガ)の代表的な大弟子の一人であった舎利弗が釈迦よりも早く死去することになった時の釈迦の嘆きの激しさはどのようのものだったでしょう?
舎利弗こそ組織維持への忠誠と自分自身の個人的存在との間の境地に苦しみ抜いた一途の弟子だったからでしょう
舎利弗はかなり独りよがりになっている状態を釈迦に鋭く指摘されていたようですが、釈迦はその舎利弗の真剣さを貫こうとする姿勢を本当に信じ続けてあげたのです
ミサンガという手首に巻き付けるビーズ玉を組み合わせたお守りは、それが自然と切れると願い事が敵うといわれているらしいですね
私はきっと仏教組織(サンガ)もこのミサンガのように微妙な繫がりであることをお釈迦様は願っていたはずと思うのです
(ぶっけん成安田)