第5-6日 Vol.118  然して後に乃ち敢て食せん 【授記品第六】(二十七~三十四行)

法華経 授記品第六

 
★★ 今日の謎!
   
その謎1:佛の提供する食膳を最初はあえて食べず、教えを得てから、初めて食べるに至っ

     たのはどういう意味なのでしょうか?
   
その謎2:佛の与える授記とは、将来に成佛できるようになるという予言なのでしょうが、

     結局、予めそのための佛道を与える意味でしょうか?
 
   
■■第5-6日 Vol.118
   
 然して後に乃ち敢て食せん
 
 【授記品第六】
 (二十七~三十四行)
   
■■今日の一偈一句
 
 ソ トキ ダイモツケンレン シュボダイ マカカセンネントウ  ミナコトゴトシュリツ イッシン ガッショウ  セ
 爾の時に大目腱連・須菩提・摩訶迦旃延等、皆悉く悚慄して一心に合掌し、世
 
 ソン センゴウ メシバラ  ス   スナワ トモ コエ オナ     ゲ ト  モウ
 尊を瞻仰して目暫くも捨てず。即ち共に聲を同じうして、偈を説いて言さく
  
  ダイオウミョウセソン ショシャクホウオウ ワレラ アイミン     ユエ  シカ ホトケ オンジョウタマ
  大雄猛世尊 諸釋の法王 我等を哀愍したもうが故に 而も佛の音聲を賜え
 
   モ  ワ ジンシン シロ    ジュキ      カンロ モッ ソソ   ネツ ノゾ
   若し我が深心を知しめして 授記せられば 甘露を以て灑ぐに 熱を除い
 
   ショウリョウ ウ  ゴト    ウ   クニ  キタ   タチマ ダイオウ ソナエ ア
  て清涼を得るが如くならん 飢えたる國より來つて 忽ちに大王の膳に遇わ
 
     ココロナ ギク  イダ  イマ アエ スナワ ジキ   モ マタオウ オシエ エ
  んに 心猶お疑懼を懐いて 未だ敢て即便ち食せず 若し復王の敎を得ば 
 
  シコウ ノチ スナワ アエ ジキ  ゴト
  然して後に乃ち敢て食せんが如く
 
 
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  1. 今 日 の 解 読 !  (苦)
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その時に大目腱連・須菩提・摩訶迦旃延等、皆ことごとく悚慄(しゅりつ:体を
 
ふるわせる、恐れおののく)して一心に合掌し、世尊を瞻仰(せんごう:眺める)
 
して目をしばらくも逸らさず。直ちに共に声を揃えて、偈頌を説いて申し上げた
     
 大雄猛世尊よ 諸釈の法王さま 我等を哀れむが故に そのために佛の音声を
 
 聞かせていただいて もし我が深心を見通されて 授記していただけるとは 
 
 甘露(かんろ:不死の功能があると伝えられている諸神の飲料)を濯がれるよ
 
 うに 熱病が治され清らかなる安楽を得るが如くになることでしょう 飢えた
 
 る国より来たる身が たちまちに大王の御馳走の膳に待遇されるにも 心はな
 
 おも戸惑いのまま疑いを懐いて 未だあえてすぐには食べることをせず しか
     
 し更に王の教えを得るならば しばらく後に随うがままにきまり事のように食
 
 べるが如く  
       
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  2. 今 日 の 説 法 !  (集)
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前回は四大弟子の第一に摩訶迦葉への授記が済まされ、その授記内容の義に関し
て釈迦が繰り返し偈を説きました。
   
今回は、その迦葉への授記がなされたことについて、迦葉を除く他の三人の大弟
子が感謝の意味で偈を説きだしました。
   
三人の大弟子は、声を揃えて佛から迦葉への慈悲なる授記をとても有難いと言い、
熱病が癒され清涼な安楽を得れる思いであると表現しました。
そして、比喩として自分たち大弟子の立場は、飢えたる国から佛に会いに来た身
のようなものであり、その哀れな身がすぐにも佛から食い物を賜れる者となれる
とは、素直にすぐには理解できず、怪しんであえて食べなかった。
   
しかし、佛である法王の教えを得たことにより、今こうしてやっと率直に食べる
ことを知ったと伝えています。
  
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  3. 今 日 の 謎 !   (滅)
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さて、今日の謎を整理して見ることにしましょう!
   
その謎1:佛の提供する食膳を最初はあえて食べず、教えを得てから、初めて食
     べるに至ったのはどういう意味なのでしょうか?
   
その謎2:佛の与える授記とは、将来に成佛できるようになるという予言なので
     しょうが、結局、予めそのための佛道を与える意味でしょうか?
 


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法華経 序品第一

 

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コメント: 3
  • #1

    ぶっけん成安田 (土曜日, 06 5月 2017 11:15)

    法華経を小説のように考えると、この大弟子たちの言動は知らない所へ連れてこられてきたような心理までのイメージを感じます。
    教えとしての用心の必要さよりも、ただ初めて釈迦に出会ったときの現実で正直な心境をこの法華経なのなかで見せているようです。
    最初、尻込み状態だった大弟子たちは、まだよく知らない大王である釈迦から進められる食事を素直には受け入れることができなかった後に、釈迦から詳しい話を教えてもらってら食べるに至ったというのです。
    初めて連れてこられた猫のような警戒心理をあえて教えの一部にしているのも、落ち着かせて信用させる誘導シーンが描かれているのは他の経典には恐らくないこの法華経の特徴なのでしょう。

  • #2

    ぶっけん成安田 (土曜日, 06 5月 2017 11:17)

    人々を導く聖者の存在は、近頃は身近に感じられるというよりも、以前よりも一段と果てしない遠い雲の上になってきているのかもしれません。たとえば、基幹病院の必要性を問われる医師の存在も意外と以前よりも親近性が遠のいているのが現実のようです

  • #3

    ぶっけん成安田 (水曜日, 06 9月 2017 09:16)

    大弟子たちは釈迦仏の説く仏法を最初は怪しく思え、本心からは信じれなかったと正直に述べています
    これは釈迦仏の導きに対してだいぶ後になってからでなくては信用できなかった弟子たちの謝罪と考えられます
    しかし、なぜ最初からすぐに信用しなかったのでしょうか?
    そして、法華経の教えとしてもその謝罪をあえて示しておく必要があるのでしょうか?

    それは正しく導く仏に対したいへん長らく失礼があったという弟子たちが自主的に行なった懺悔です
    つまり、釈迦仏がその懺悔を弟子たちへ要求したわけではありません
    それはあたかも釈迦の教えは誰もが最初は怪しく思えるものだと前置きをしているようなものであり、仏への信頼は先ず懺悔から始まるという意外な順序を示しいるかのようです
    それは釈迦仏のとても微笑ましいユーモラスな慈悲の世界を示しているのではないかとも思えます
    そして、仏としては信者を正しく導くためにはとても長らく苦慮をしているという現実をとても強調して教えているようでもあります
    これらは、なぜかたいへん理解し難いのが法華経である結論が法華経の最初に前置きとして示されている謎です

    (ぶっけん成安田)