★★ きょうの謎!
その謎1:多宝如來が菩薩だった時の将来への大誓願は、なぜ法華経を自ら説く
ことではなく、他から法華経を聴聞する事だったのでしょう?
その謎2:多宝如來はその存在を示す為に、なぜ自らの如來の姿ではなく塔廟
(お墓)の形でを現れるのでしょう?
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■■第4-11日 Vol.95
宝塔の中に如來の全身います
【見宝塔品第十一】
(十七~二十二行)
■■今日の一偈一句
ソ トキ ホトケ ダイギョウセツボサツツ コ ホウトウ ウチ ニョライ ゼンシン
爾の時に佛、大樂説菩薩に告げたまわく、此の寶塔の中に如來の全身います。
ナイオウカコ トウホウ ムリョウセンマンノクアソウギ セカイ クニ ホウジョウナヅ カ ナカ ホトケ
乃往過去に、東方の無量千萬億阿僧祇の世界に、國を寶淨と名く。彼の中に佛
ナ タホウ ソ ホトケモトボサツ ドウ ギョウ トキ ダイセイガンナ
います、號を多寶という。其の佛本菩薩の道を行ぜし時、大誓願を作したまわ
モ ワレジョウブツ メツド ノチ ジッポウコクド オイ ホケキョウ ト トコロ ワ
く、若し我成佛して滅度の後、十方の國土に於て法華經を説く處あらば、我が
トウミョウコ キョウ キ タメ ユエ ソ マエ ユゲン タメ ショウミョウ ナ ホ
塔廟是の經を聴かんが爲の故に、其の前に涌現して、爲に證明と作つて、讃め
ゼンザイ
て善哉といわん。
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1. 今 日 の 解 読 ! (苦)
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その時に佛は、大樂説菩薩に告げたまわく、この宝塔の中には如來の全身が安置
されているのです。久遠の昔に、東方の無量・千・萬・億・阿僧祇の世界に、国
ありて宝淨と名く。彼の国の中に佛が住んでおられた、その名號を多宝という。
その佛が最初に菩薩の道を修行していた時、大誓願を起こされた、もし我が成佛
して滅度の後、十方の国土の中に於て法華経を説く所があれば、我が塔廟(とう
みょう:佛の遺骨などを安置するために建てられた建造物、塔に同じく、礼拝堂
のこと)がこの法華経を聴く目的の為に、その礼拝者の前に建ち現われて、その
為の証明として、礼拝者を讃めて善哉と言うであろう。
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2. 今 日 の 説 法 ! (集)
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まず最初にお詫び申し上げなければなりません、実は、前回の説法に間違いがあ
りまして、訂正させていただかなければならなくなりました。
それは、前回では本品での巨大な宝塔は釈迦が出現させたものだと表現しており
ましたが、それは私の勘違いで、今回では、はっきり多宝如來が菩薩だった時に
自ら塔廟として現われると請願していると記されていることから、今回出現した
この宝塔も、実は多宝如來の誓った判断で多宝如來自らの意志で出現したとする
ほうが正しいということです。
たいへん誤解を生じましたことをここでお詫び申し上げます。
それでは、前回、出現した宝塔の中から大音声が発生し、その正体は何かを問い
合わせた大樂説菩薩に対し釈迦が説明しだす場面が今回からです。
その質問に対し釈迦は、この宝塔の中には如來の全身が納まっていると言いまし
た。
そして、その如來とは、久遠の昔に東方の宝淨という国に住んでいた多宝如來で
あると教えました。
その多宝如來は成佛する以前は最初菩薩の道を修行していて、その時に大誓願を
立てたそうです。
その誓いとは、菩薩としていずれ成佛できて、そして滅度した後には、宝淨国を
囲んで十方にある国土内でもし法華経を説く所があれば、自らの塔廟、つまりお
墓はその法華経を聴く目的でその面前の所に建ち現われるであろうと約束し、そ
の誓いを明かす証明としては、その際に法華経を説く者たちを賛嘆して「善哉」
と呼びかけることを合図とすると伝えたのだそうです。
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3. 今 日 の 謎 ! (滅)
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まず、今日の謎を整理して見ることにしましょう!
その謎1:多宝如來が菩薩だった時の将来への大誓願は、なぜ法華経を自ら説く
ことではなく、他から法華経を聴聞する事だったのでしょう?
その謎2:多宝如來はその存在を示す為に、なぜ自らの如來の姿ではなく塔廟
(お墓)の形でを現れるのでしょう?
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ぶっけん (月曜日, 10 8月 2015 17:54)
「モニュメンタルな宝塔で現れる多宝如来」
ぶっけん (月曜日, 10 8月 2015 18:10)
「自身のため、他者のため、両方が同時に機能してこそ佛法」
ぶっけん (月曜日, 10 8月 2015 18:11)
「行動と実行は違う」
ぶっけん (日曜日, 11 12月 2016 20:20)
世の中の権原と権威・・その違いなんでしょう?
とかく、自己の利益となりやすいのは権原かもしれませんが、その権原をも覆いつくす大きな力はやはり他人の利益のために示す権威であるはずです。
ぶっけん成安田 (月曜日, 10 4月 2017 23:57)
私はあらたに真実を発見したように思えます。
それは、法華経の中で釈迦如来とコンビを組んでいる多宝如来は実は熱心な衆生が法華経を説くのを聞いて誉めに出てくることだけを特徴としている仏様です。
つまり、多宝如来自らは衆生のために法華経を説くことはないのです。
この疑問を少し考えてみませんか?
成仏するためには法華経のことをよく知り、他のために説法してあげれるようになることが最終段階で必要なはずなのです。
ですから、多宝仏も一旦菩薩修行の時代にしっかり説法できるようになってから成仏に至れたはずなのです。
私があらたに発見したとというのは、物忘れのことです。
大金持ちタイプにこそ意外と結構ありやすい欠点が、一旦覚えた大切なことこそを激しく忘れてしまうということではないかと思うのです。
そして、もっと更に真実めいたことですが、亡くなった後のあの世の仏とは一般にどうやら自分自身がこの世でしてきた事しか覚えていないようだということなのです。
ぶっけん成安田 (月曜日, 10 4月 2017 23:58)
誰にもご先祖がいらっしゃるでしょう。
その仏様になっているであろうご先祖様は果たして今の家族のことをしっかり覚えているでしょうか?
私は仏様こそ物忘れが激しいのではないかと思えてきています。
もしも、釈迦も生前に同じような疑問を考えていたとするならば、それはあたかも本当のことのようであり、先ずは仏様のためにははっきり目立つ目印を作ってあげなければならない。
それが煌びやかな塔だったと・・・それが、私たちこれから成仏を目指す衆生たちにとっても重要な入り口の目印だったのではないかと思うのです。