★★ 今日の謎!
その謎1:
ここでの釈迦は、弟子たちへ自立を促がす指導ではなく、如來だけが一方的に衆生の性質区分に応じて生長させる仕組みである事実を理解させようとしているのはなぜでしょう?
その謎2:
如來は、仏の法について、衆生自らに探究させるのではなく、好む好まざるに関わらずすべての区分に応じて一方的、かつ一律に如來の智慧を聴かしめるのでしょうか?
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■■第4-5日 Vol.89
今世・後世、実の如く之を知る
【薬草喩品第五】
(十九~二十五行)
■■今日の一偈一句
イマ ド モノ ド イマ ゲ モノ ゲ イマ アン モノ アン
未だ度せざる者は度せしめ、未だ解せざる者は解せしめ、未だ安ぜざる者は安
イマ ネハン モノ ネハン エ コンゼ ゴセ ジツゴト コレ シ
ぜしめ、未だ涅槃せざる者は涅槃を得せしむ。今世・後世、實の如く之を知る。
ワレ コ イッサイチシャ イッサイケンシャ チドウシャ カイドウシャセツドウシャ ナンダチテン ニン ア
我は是れ一切知者・一切見者・知道者・開道者・説道者なり。汝等天・人・阿
シュラシュ ミナココ イタ ホウ キ タメ ユエ ソ トキ ムシュセンマンノクシュ シュ
修羅衆、皆此に到るべし、法を聽かんが爲の故に。爾の時に無數千萬億種の衆
ジョウブッショ ライシ ホウ キ ニョライトキ コ シュジョウショコン リ ドン ショウジンケダイ
生、佛所に來至して法を聽く。如來時に是の衆生の諸根の利・鈍・精進・懈怠
カン ソ タ トコロ シタガ タメ ホウ ト シュジュムリョウ ミナカンギ
を觀じて、其の堪うる所に随つて、爲に法を説くこと種種無量にして、皆歡喜
ココロヨゼンリ エ
し快く善利を得せしむ。
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1. 今 日 の 解 読 ! (苦)
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未だ渡れない者に対しては渡らしめ、未だ解脱できない者に対しては解脱なさし
め、未だ平穏なさざる者に対しては平穏なさしめ、未だ悟りの境地に至らざる者
に対しては悟りの境地を得させる。現在・未來のつながりは、実によくこのこと
を知っている。我はこの一切の知者であり・一切の観察者であり・知道者・開道
者・説道者である。汝らや天神・人間・阿修羅衆は、皆我の所に至るのだ、それ
は法を聴く為が理由である。その時に無数千萬億種の衆生は、我が佛所に来訪し
て法を聴くのだ。如來はこの時にぞこれら衆生の諸性質の利点・悪点・努力・怠
慢を観察して、その頑張れる能力に従って、それが適うように法を説くことはそ
の性質種類の区分量は計り知れず、すべての者を歓喜させ快適に善利を得させる
のである。
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2. 今 日 の 説 法 ! (集)
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度すとは無理にも至らしめる意味で、彼岸へ渡らせる、つまり到達させるための
知識を無理にも植えつけること、或は渡し運んであげることであって、苦を免れ
て楽に至らしめるという意味だそうです。
また、済度も度すと同じ意味らしいですが、別に得度というものは度を得るとい
うことであり、他へ奉仕することを得るという意味になり、僧侶になる入門儀式
のことを得度というらしく、剃髪し戒を守ることを誓約し、戒名(僧名)を与え
てもらうことだそうです。
そして、解脱もまた、苦や迷いから免れることなのですが、渡し運ぶということ
ではなく、自身で楽になれるチャンスを作り出すということでしょう。
そして、安ずるとは安心して平穏になれるということであり、安息・休息するこ
とですね。
涅槃とは、何故か吹き消された状態を意味するそうで、煩悩や生死の束縛を離脱
し、今後、迷いの世界に生まれることのない状態をいうそうです。また、佛や阿
羅漢が悟りを得て最後に到達する境地であり、即ち最後身という状態らしいです
が、大乗では、涅槃によって佛の肉身は減失するが、その法身(さとりそのもの)
は消失せず、常住であると説いているそうです。
これらの、度す・解脱・平穏・涅槃に関し、如來は未だなし得ていない今世の者
を後世に於て達成させるための援助を行うということであり、その援助の達成は
今世から後世(來世)へまたがっていることにより知ることを理解することなの
です。
すなわち、真実とは今世と來世の変換期にあるといえるでしょう。
如來である釈迦は、一切知者・一切見者・知道者・開道者・説道者であると誇示
し、その釈迦のことを天神・人間・阿修羅衆、いわゆる六道は皆知ることになる
のであり、それは釈迦から法を聴ききたい為が唯一の理由だといっています。
如來が降り立った時、その時こそがその多くの衆生が来訪して法を聴くのだそう
で、如來はその時に衆生のさまざま別々な性質を観察理解し、各々の種類に応じ
て区分して、種々に適したわかり易い形で法を説かれるのです。
そして、聴いた者は誰もが歓喜して快適に善利を得ることになるということです。
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3. 今 日 の 謎 ! (滅)
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まず、今日の謎を整理して見ることにしましょう!
その謎1:ここでの釈迦は、弟子たちへ自立を促がす指導ではなく、如來だけが一方的に衆生の性質区分に応じて生長させる仕組みである事実を理解させようとしているのはなぜでしょう?
⇒ 弟子たちへいきなり自立をさせようにも実際には弟子たち自らでは何を目的に目指してよいかすら思いつけないためではないでしょうか?そのために指導の源の如來が何であるかをこの品で教えているようです。
その謎2:如來は、仏の法について、衆生自らに探究させるのではなく、好む好まざるに関わらずすべての区分に応じて一方的、かつ一律に如來の智慧を聴かしめるのでしょうか?
⇒ 衆生が自らに仏法に気付いて自立して修行して行けるようになるまでにはとても長い時間が掛かります。つまり、衆生自らではほとんどを忘れてしまって何もできない状態の時、如來はこの世に根本を教えにやって来るのです。また、そういう時しか如來は現れないのです。衆生が正しい生き方を忘れてしまっているという状態はそもそも衆生が正しく修行を続けることを長い期間に渡り怠ったためです。そういう時、如來は罰を与えるがごとく一律に教えを植え直すのです。
「如來の舞い降りる、仏教は今が流行り立て」・・薬草諭品第五【第四月目】
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ぶっけん (火曜日, 04 8月 2015 17:50)
仏教、流行り立て
ぶっけん成安田 (火曜日, 04 4月 2017 22:01)
『今世(現在)と後世(未来)、真実の如くにこれを知る』
これを簡単に言えば、現在と未来の混合した関係が真実であるとして知る、という意味らしいです。
何だか、つじつまの合わない独断な哲学などを一方的に聞かされているような感じですね。
この薬草諭品で釈迦如来は、如来が一気に舞い降りて来る時は、このようなかなり奇怪な環境下だ、と教えているのです。
何だか変だ・・・これが「妙」なのであり、これが釈迦仏教の説法なのです。