★★ きょうの謎!
その謎1:
舎利弗は、釈迦の言葉から説法を聞いたことに対し、法音を聞いたと表現しているのは少し変ではないでしょうか?
その謎2:
舍利弗が常に思惟した「事」とはなんでしょうか?
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■■第4-3日 Vol.87
我是の法音を聞いて
【比喩品第三】
(十六~二十一行)
■■今日の一偈一句
ワレコ ホウオン キ ミゾウウ トコロ エ ココロ ダイカンギ イダ ギモウミナスデ
我是の法音を聞いて 未曾有なる所を得て 心に大歡喜を懷き 疑網皆已に
ノゾ ムカシ コノカタブッキョウコウム ダイジョウウシナ ホトケ ミコエ ハナハ ケウ
除こりぬ 昔より來 佛教を蒙つて 大乗を失わず 佛の音は甚だ希有にし
ヨ シュジョウオナヤミ ノゾ ワレスデ ロジン ウ キ マタ ウノウ ノゾ
て 能く衆生の惱を除きたもう 我已に漏盡を得れども 聞いて亦憂惱を除
ワレセンゴク ショ アルイ リンジュ モト ア モ ザ モ キョウギョウ ツネ
く 我山谷に處し 或は林樹の下に在つて 若しは坐し若しは經行して 常
コ ジ シユイ ウ コ フカ ミズカセ イカン シカ ミズカアザム
に是の事を思惟し 鳴呼して深く自ら責めき 云何ぞ而も自ら欺ける
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1. 今 日 の 解 読 ! (苦)
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私はこの説法を佛の御声で聞いて 今まで知らない貴重なる意味を知り心に大
きな喜びを懐き 疑わしい困惑は皆すでに消え去ったのでした 昔より今まで
佛教を仕事とし 大乗を見失ったことはありません 佛の音声は非常に希少ま
れにして 完全に衆生の悩みを消し去ってくれます 我はすでに有漏を尽せど
も 聞いてはまた更に憂いな悩みが取り払われます 我は山や谷間の中に住し
あるいは雑木林の根元に身を置き ある時は座しある時は経行して いつも
のことながらこのようなことを想いふけり ため息をついて深く自らを責めま
した どうしてもまだまだ自分自身を都合の良いように騙せてしまうのです
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2. 今 日 の 説 法 ! (集)
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舍利弗は、釈迦の法を伝える声に対し、未だかつて無い鋭い感動を味わい、それ
までのすべての疑惑が消え去ったと感謝を表しました。
そして、舍利弗は昔から今まで佛教を重要な任務としてきて、今でも大乗佛教の
ことは失っていないともいっています。
舍利弗が今あらためて聞く、釈迦の話す言葉は非常に珍しい説法であって、完全
に衆生の悩みを除ける素晴らしさであることを賛嘆しています。
しかし、舍利弗は自分自身を、山谷に住み、或は雑木林の根元に過ごし、ある時
は坐臥し、またある時は経行して、常にこの事を思惟しては、ため息が出るほど
に深く自分自身を情けなく責め、どうしても未だに自らを都合次第に慰めてやる
しか能がなくなっていることを嘆いている状況を素直に伝えているのでありまし
ょう。
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3. 今 日 の 謎 ! (滅)
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まず、今日の謎を整理して見ることにしましょう!
その謎1:舎利弗は、釈迦の言葉から説法を聞いたことに対し、法音を聞いたと表現しているのは少し変ではないでしょうか?
⇒ 舎利弗が、法音を聞いたというのは教えの言葉の内容は何だかわからないけれど、純粋に有り難いお経の音が聞こえてきたと言っているみたいに思えますね。説法と法音を単に同じだと考えている舎利弗はよく解かっていないということらしいです。説法とは仏法の真実を言葉を用いて解かり易く説明することを言います。しかし、真実をありのまま正確に言葉で伝えることはとても難しいことです。だから、仏は皆、適宜その場に応じた方便を用いて説法しているのです。
その謎2:舍利弗が常に思惟した「事」とはなんでしょうか?
⇒ 「世雄は量るべからず」とは世の中の調整のために戦いを要する者は裁量してはならないということでしょう。舎利弗は「事」のことを悩み続けて常に思考していたわけであり、自ら得意策の「義」に関して疎かに忘れるくらい難しい「事」のことだけへ執着していたということらしいです。仏事とは、たとえ正しいことであろうと戦いの「義」に明け暮れる者が主催できることではなく、仏事は「事」に適した者だけに任せるべき事柄なのです。
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ぶっけん (日曜日, 02 8月 2015 20:35)
5→4→3→2→1→2→3→4→5
ぶっけん成安田 (日曜日, 02 4月 2017 20:44)
舎利弗は釈迦にとっても重要な弟子でしたが、釈迦よりも早く亡くなっているそうです。
法華経の一番最初から釈迦に叱られても叱られても釈迦を気遣う舎利弗の忠誠に心を打たれますが、舎利弗に先立たれた時、一番心を痛めたのは釈迦だったでしょう。
釈迦は、舎利弗は必ず成仏するのだと、入念に呼び掛けるように供養したということです。
このように釈迦と大弟子たちの修行とは、実際は仏と弟子の関係でありながらも、若い頃から長らく共に修行を貫いてきた同等の競い合いの修行者仲間でもありました。
これが、真実の人情でしょう。
神ではなく仏の道であることを、現実の私たちへ訴えかけているように思います。