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第3-4日 Vol.60  我等をして三界を出で 【信解品第四】(九~十四行)

法華経 信解品第四

 
 
★★ きょうの謎!
 
その謎1:我等をして三界を出で、とは釈迦が我等と共に三界を出たということ
     でしょうか?
   
その謎2:この段階では、まだ弟子たちは菩薩になる気持はないのでしょうか?
  
 
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■■第3-4日号 Vol.60
   
 我等をして三界を出で
 
 【信解品第四】
 (九行~十四行)
 

  
■■今日の一偈一句

 

 ユ エ イカ  セソン  ワレラ    ガイ イ  ネハン ショウ エ        マタ
 所以は何ん、世尊、我等をして三界を出で、涅槃の證を得せしめたまえり。叉
 
 イマワレラ トシスデクマイ   ホトケ ボサツ キョウケ    アノク タラ ミャク ボダイ オイ
 今我等年已に朽邁して、佛の菩薩を教化したもう阿耨多羅三藐三菩提に於て、
 
  ネンコウギョウココロ ショウ    ワレライマブツゼン オイ ショウモン アノク タラ ミャク ボダイ
 一念好樂の心を生ぜざりき。我等今佛前に於て、聲聞に阿耨多羅三藐三菩提の
 
 キ サズ     キ   ココロハナハ カンギ ミゾウウ     エ    オモ
 記を授けたもうを聞いて、心甚だ歡喜し未曾有なることを得たり。謂わざりき、
 
 イ マコツネン ケ ウ ホウ キ     エ    フカ ミズカキョウコウ ダイゼンリ エ
 於今忽然に希有の法を聞くことを得んとは。深く自ら慶幸す。大善利を獲たり
 
   ムリョウ チンポウ モト   オノズカ エ
 と。無量の珍寶、求めざるに自ら得たり。
 
    
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  1. 今 日 の 解 読 !  (苦)
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それはなぜでしょうか、世尊、我等自らに三界を出れることになり、涅槃の境地
 
を直接知るに到らされたためです。また今の我等は歳をすでに重ねすぎてしまっ
 
ていて、佛の菩薩だけを教化するための阿耨多羅三藐三菩提であることに対して、
 
一念発起なやる気を持てる心を生ずることもなかったのです。ところが我等はた
 
った今の佛前での御説法に於いて、声聞に阿耨多羅三藐三菩提の記を授けてくれ
 
るということを聞いて、心の底から喜べるめったにもない機会を得ました。思い
 
もよりませんでした、只今突然かつて聞いたこともない極めて貴重な法を聞ける
 
ことになるとは。深く我ながら有り難き幸せに存じます。みごと大幸運を獲得で
   
きたと。無量の珍宝を、求めてなくとも自然に得ることができました。   
   
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  2. 今 日 の 説 法 !  (集)
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前回のこの品でもお話しましたが、この四大弟子の釈迦に対する言い方はどうも
腑に落ちないところがあるのです。
やはり、どうもこの弟子たちは心のどこかにはまだまだ釈迦を本当は信じきれて
いないところを持っていて、それを釈迦にも堂々知られているようにも感じられ
るようです。
   
また、この隠しようもないけど言わずに済ましているこの四大弟子に対し、前品
までの舍利弗は、隠さずただはっきり言う弟子だったという違いがあるのかもし
れません。
   
であるとしても、そういう正直な舍利弗を釈迦は褒めずに、弟子の中でも特に厳
しく説教を施す対象の代表としていましたね。
これが更に腑に落ちないところでもあります。
   
このような疑問となる場面シーンから、この法華経とは釈迦の考えや狙いがその
まま全体のシナリオを作り上げているというよりも、法華経自体が釈迦を参考に
登場させている仕組で、釈迦自身の法華経に対する自由判断に対し、どのように
法華経に沿った展開をしていくかを見守っている内容になっているようだと考え
る必要があるのではないでしょうか。
   
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  3. 今 日 の 謎 !   (滅)
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まず、今日の謎を整理して見ることにしましょう!
   
その謎1:我等をして三界を出で、とは釈迦が我等と共に三界を出たということ
     でしょうか?
   
その謎2:この段階では、まだ弟子たちは菩薩になる気持はないのでしょうか?
 


ご案内

法華経 序品第一

 

★★ 今日も、お読みいただきありがとうございました ★★
 
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 4. 今 日 の 知 識 !  (道) 5. 今 日 の 解 脱 !  (解)
 6. 今 日 の 振 返 り ! (脱)
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コメント: 2
  • #1

    ぶっけん (土曜日, 30 5月 2015 00:13)

    『先細り続ける釈迦の末法』

  • #2

    ぶっけん成安田 (土曜日, 04 3月 2017 14:17)

    「無量の珍宝、求めざるに自ら得たり」
     
    大弟子たちは釈迦の教えへの感謝の言葉として、このように言ってますが、これはどのような意味の感謝と考えられるでしょうか?
    弟子たちは、求める気持ちが無くても多くの得を貰えたということらしいですが、これは本当に正しいことなのでしょうか?
    これは、長く連れ添った弟子として釈迦の厳しい仏道を本心からは目指すつもりがなかったけれど、思いついたらすでに知らず内に目指していたということでしょうね。
    そこで思いがけない大きな結果を得れたことを感謝しているということでしょう。
     
    これはただ、本心からは信じれなくてもひたすらに釈迦へ着いていっただけで、理解がなくても最高の結果を得れたということであり、弟子自らが苦心して知恵を絞って歩んだことによる自身の道ではなかったという意味になりますね。
    つまり、弟子たち自らの確信で選んだ道(声聞道)よりも釈迦仏の提供した解からない道(菩薩道)を知らずに歩まされた結果が大きな利益につながったということになります。
     
    何かわかったようなわからないような妙なことですが、弟子たちの答えはこれで良かったみたいです。
     
    ただここで重要なのは、弟子たちが長年の最後に悟ったその後に、釈迦は更に最終的にこの大弟子たちに初めて命じているのです。
    それは、今まで自らで選んできた道は捨てよ、ということなのでした。