★★ きょうの謎!
その謎1:曼陀羅華・摩訶曼陀羅華の違いは何でしょうか?
その謎2:法華経は派手な祝い事や素直な喜びも重要な教えや行ないなのでしょ
うか?
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■■第2-17日 Vol.45
菩薩摩訶薩たちの大法利
【分別功徳品第十七】
(十四~二十三行)
■■今日の一偈一句
ホトケコ モロモロ ボサツマカサツ ダイホウリ ウ ト トキ コクウ ナカ マン
佛是の諸 の菩薩摩訶薩の大法利を得ることを説きたもう時、虚空の中より曼
ダラケ マカ マンダラケ フ モッ ムリョウ マンノクホウジュゲ シシザジョウ ショ
陀羅華・摩訶曼陀羅華を雨らして、以て無量百千萬億の寶樹下の師子座上の諸
ブツ サン ナラビ ポウトウチュウ シシザジョウ シャカムニブツ オヨ クメツド タホウニョライ サン
佛に散じ、并に七寶塔中の師子座上の釋迦牟尼佛及び久滅度の多寶如來に散じ、
マタ サイ モロモロ ダイボサツオヨ ブ シュ サン マタサイマツ センダン ジンズイコウトウ フ
亦一切の諸 の大菩薩及び四部の衆に散ず。又細抹の栴檀・沈水香等を雨らし、
コクウ ナカ オイ テンクオノズカ ナ ミョウショウジンノン マタ シュ テンネ フ モロモロ
虚空の中に於て天鼓自 ら鳴つて妙聲深遠なり。又千種の天衣を雨らし、諸
ヨウラク シンジュヨウラク マニシュヨウラク ニョイシュヨウラク タ ホウ ヘン シュホウ コウ
の瓔珞・眞珠瓔珞・摩尼珠瓔珞・如意珠瓔珞を垂れて九方に偏ぜり。衆寶の香
ロ ムゲ コウ タ ジネン アマネ イタ ダイエ クヨウ ホトケ ミウエモロモロ
爐に無價の香を燒いて、自然に周く至つて大會に供養す。一一の佛の上に諸
ボサツ バンガイシュウジ シダイ ノボ ボンテン イタ コ モロモロ ボサツタエ
の菩薩あつて、旛葢を執持して次第に上つて梵天に至る。是の諸 の菩薩妙な
オンジョウモッ ムリョウ ジュ カ ショブツ サンダン
る音聲を以て、無量の頌を歌して諸佛を讃歎したてまつる。
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1. 今 日 の 解 読 ! (苦)
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佛がこの諸々の菩薩摩訶薩たちの大きな法利を得る予想を説いた時、何も無い大
空の中より曼陀羅華(須弥山にある巨木の花)・摩訶曼陀羅華(天上に咲く大き
な白蓮華)を降らして、それが無量の百・千・万・億の宝樹(極楽にある大樹)
下の佛の王座上の諸佛に散じられ、並びに見宝塔の中の佛の王座上の釈迦牟尼佛
及び滅後久しい多宝如來にも散じられ、また一切の諸々の大菩薩及び在家・出家
の聴聞者たち(比丘、比丘尼、優婆塞・優婆夷の集団)に散じられた。また粉末
にした香木・水噴霧にした香木等を降らし、何も無い大空の中に於て天空鼓が自
然に鳴って妙音が奥底無い。また千種の天衣を降らし、諸々の瓔珞(宝珠の花輪
)・眞珠瓔珞(眞珠の輪の装身具)・摩尼珠瓔珞(不可思議な宝珠の輪)・如意
珠瓔珞(何でも叶える不思議な宝珠の輪)を垂れて下方以外の九方に同じく満遍
ない。大衆用の香炉に無臭の香を焚いて、大地の上を満遍なく包み込み大衆を供
養した。一佛一佛の上に諸々の菩薩が居て、戦旗を執持して次第に上昇して梵天
に至る。この諸々の菩薩たちは不思議な美声を出して、無量の詩を詠って諸佛を
讃歎した。
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2. 今 日 の 説 法 ! (集)
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これはもう私が何も言うこともありません、前品の如來壽量品が説かれたことの
素晴らしさに嬉しさ覚めやまない喜び祝いの状況が終わらないかのようですね。
この法華経は、たいそうに繰り返し派手な祝い事が好きなようですね。
お経の中のお祭りでしょうか?
各々の佛の頭の上に各々の菩薩が乗って祝っても咎められないくらい、法華経の
中でも一番めでたい出来事だったのでしょう。
とりあえず、壽量品がいかに素晴らしかったということだけは、ここではっきり
わかるようになっているようです。
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3. 今 日 の 謎 ! (滅)
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まず、今日の謎を整理して見ることにしましょう!
その謎1:曼陀羅華・摩訶曼陀羅華の違いは何でしょうか?
その謎2:法華経は派手な祝い事や素直な喜びも重要な教えや行ないなのでしょ
うか?
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ぶっけん成安田 (日曜日, 17 2月 2019 14:47)
分別が解かると有難い功徳をいただけるという、その分別とは違いや格差のことなのです。
それは、つまりこの世の中を差別化して物事を考える大切さということですね。
差別するという言葉は実際には古くからあまり良い意味では使われてないようですが、実は仏教におけるこの差別こそが意外にも思いがけないほど重要なのです。
それは単純に考えれば天国もあれば地獄もあるように、仏教の教えの基本は格差なのです。誰もが平等であるはずとばかりに思い上がったり油断してはいられないということです。
同じ人間なのにどうして?と問いたくなるところにこそ仏教の答えがあるのです。
冷たいものは冷たい、暖かいものは暖かい、そのようにありのままの真実が仏教の答えなのです。
そして、冷たいものが暖かく変化するには必ずそれに応じた時間が掛かる。その時間の長さもどれくらいの冷たさか暖かさかなどの頻度に応じてまるで異なります。
それを仏教では一人一人が個々に成仏できるまでの時間の差で説き示しています。
それでは、成仏できるまでの時間を修行や努力により早める方法はないのでしょうか?
お釈迦様はそのための最も合理的に早く成仏できる方法として、空間を選択するということを教えているのです。
空間とは何か?それは修行に適した空間、つまり良い環境のことです。
空間を最初から正しく作り上げることは時間もかかって難しいことですが、自分の心に思い描いた理想的にすでに存在している空間を目差して選択することは今すぐ誰にもできます。
誰もが優れた空間に入ることはとても思いがけないほど多くの徳があるのです。
お釈迦様はそれを気付かせようとして分別を説くのです。
ぶっけん成安田 (土曜日, 25 2月 2017 11:34)
「衣食足りて礼節を知る」とは?
この意味を調べますと、とくに衣食に余裕ができてこそ礼儀や節度をわきまえるようになるということらしいですね。
ところが、これには衣食住の基本バランスのうち、なぜか「住」が抜けているのが気がかりで、現代のTPO基準がままならず、暮らしがバラバラになって、各々の住困難だけが起きているのではないかとも思うのです。
確かに現代は住宅づくりの難しさを抜けば、衣食は余るほどに満ち足りていますね。
なぜかと言うならば、それはただ住宅消費は衣食に比べれば、かなり手に入れにくいものだということだからでしょうね。
しかし、手に入れにくいとは、ただお金が高いというだけでなく、誘導的に気軽に買い求めやすい消費物でないということなのでしょうね。ところで、それはなぜかと言いますと、住宅建設の売り方自体に確かな標準がないからなのです。
なぜ住宅づくりは技術進歩が著しく高価で代表的な消費物件なのに、肝心な提供する業者の売り方だけが定まらないのか?
実は答えは簡単です!
古くから建築という職業は礼節が無いから・・本当にただそれだけが原因なのです。
つまり、資産価値の住宅を建てるという最も消費者に対し礼節を重んじなければならない職業でありながら、技術ばかりは進み、礼節のほうを知ることがないために、肝心な消費契約の儀式が進まないからなのです。
住宅難の消費者の方々はぜひこれを知るとよいです。
住宅とはただ一人で購入しないということなのです。
この答えはといいますと、実に仏教の法華経にもあるのです。
お釈迦さまはちょっと不思議なことに、修行を心掛ける者の第一歩とは、先ず誰もが修業できる道場を設け、そこに仏塔を建てることだ、と指示しているのです。そして、あらゆるどの仏もその場所で悟りを開いてきたと教えているのです。
これは、日本の日蓮聖人も同じく建設の重要さは、弟子たちに誓わせた第一の重い約束なのですが、仏の悟る場所を先ず最初に建立することを目的とする大事な儀式なのです。
ですから、修行の一番確かな第一歩とは、形としての建設業行為を先ず達成することを意味するのです。
何となく不思議でしょうが、
そうすれば、衣食を貰える身になるということでしょう。
(ぶっけん)
ぶっけん (日曜日, 17 5月 2015 16:28)
『遊びは先にしておこう!』