★★ きょうの謎!
その謎1:今回の最初は「佛、」という呼び名で始まってますが、この法師品の
最初の始まりは「(爾の時に)世尊、」と呼んでいるように、同じこ
の品の中でもその尊称をあえて変えているのは何か意味があるのでし
ょうか?
その謎2:経典は佛そのもののことではないのでしょうか?
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■■第2-10日号 Vol.38
衆生を愍むが故に此の人間に生ずるなり
【法師品第十】
(六~十三行)
■■今日の一偈一句
ホトケ ヤクオウ ツ マタニョライ メツド ノチ モ ヒト ミョウホケキョウ ナイシ
佛、藥王に告げたまわく、又如來の滅度の後に、若し人あつて妙法華經の乃至
ゲ ク キ ネン ズイキ モノ ワレマタ アノクタラ ミャク ボダイ キ アタ
一偈・一句を聞いて一念も隨喜せん者には、我亦阿耨多羅三藐三菩提の記を與
サズ モ マタヒト ミョウホケキョウ ナイシ ゲ ジュジ ドクジュゲセツ ショシャ コ
え授く。若し復人あつて妙法華經の乃至一偈を受持・讀誦し解説・書寫し、此
キョウガンオイ ウヤマ ミ ホトケ ゴト シュジュ ケ コウ ヨウラク マッコウ ズコウ
の經巻に於て敬い視ること佛の如くにして、種種に華・香・瓔珞・抹香・塗香
ショウコウ ゾウガイドウバン エブク ギガク クヨウ ナイシガッショウクギョウ ヤクオウ マサ シ
・燒香・絹葢・幢旛・衣服・伎樂を供養し、乃至合掌恭敬せん。藥王當に知る
コ ショニンラ スデ カツ マンノク ホトケ クヨウ ショブツ トコロオイダイガンジョウジュ
べし。是の諸人等は已に曾て十萬億の佛を供養し、諸佛の所に於て大願を成就
シュジョウアワレ ユエ コ ニンゲン ショウ
して、衆生を愍むが故に此の人間に生ずるなり。
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1. 今 日 の 解 読 ! (苦)
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佛は、薬王菩薩に告げた。それだけはでなくこの如來の滅度した後に、もし通常
のある人が妙法華経のほんの一偈・一句でも聞いて一念もすぐ喜べる者であれば、
我はその者にもまた阿耨多羅三藐三菩提の記を授けるのだ。もしまたある通常の
人がいて妙法華経のほんの一偈を保持し・読んでみて理解し・書き写し、この経
巻に対して尊敬のまなざしで佛と見なすと同じにして、さまざまなお花・お香・
装身具・粉末香・練り塗香・焼香・絹の日傘・摩破旗・礼服・音楽を奉仕し、あ
るいはただ合掌して謹み敬うことをする。薬王よこれをしっかり知るのだ。この
ような人たちはすでに過去に十万億の佛をこのように奉仕し、さまざまな佛の身
元において大きな願いを無事かなえてもらうことが出来ていて、他の衆生をあわ
れむ気持ちを持つがゆえにこの人間として生まれてくるのである。
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2. 今 日 の 説 法 ! (集)
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釈迦は、さまざまな佛法を志す複数の者に呼びかけた後に、次に今度は薬王菩薩
一人だけに向って、通常の人であっても同じく阿耨多羅三藐三菩提の授記を授け
るのであると諭し、それもたとえ釈迦が滅度した後であっても同じく与えるので
あると教えました。
これは、釈迦は薬王菩薩に対して何か謎めかせた問い掛けをしている状況と思え
ますが、ほんの僅かな理解でも示せば、それだけで阿耨多羅三藐三菩提の授記を
与えるということは、どういう意味なのかは何のことか理解し難いことであり、
それがまた、釈迦が滅度した後であっても同じく与えるという意味は更に何なの
か、意味不明な言い回しを解かせようとしているかのようです。
この答えはこの後を読んでいかなければほぼ解からないことだと思いますので、
どんどんこの先を読んでみますと、釈迦は、すでに過去前世までに十万億ほどの
佛を供養し終えてきている人々は、他人に対するあわれみの心が備わっており、
既にその心があることで、この世の人間として生まれてくると教えているようで
あります。
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3. 今 日 の 謎 ! (滅)
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まず、今日の謎を整理して見ることにしましょう!
その謎1:今回の最初は「佛、」という呼び名で始まってますが、この法師品の
最初の始まりは「(爾の時に)世尊、」と呼んでいるように、同じこ
の品の中でもその尊称をあえて変えているのは何か意味があるのでし
ょうか?
その謎2:経典は佛そのもののことではないのでしょうか?
『薬王菩薩と中国・日本の関係 【法師品第十】その2』
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ぶっけん (日曜日, 07 6月 2015 00:24)
『経巻とは佛そのもののことではない』
ぶっけん (日曜日, 07 6月 2015 17:40)
『投槍でもいい、着実に生きて欲しい』
ぶっけん (土曜日, 11 2月 2017 00:54)
宗教の質問と答えをすべし。
ぶっけん (日曜日, 10 2月 2019 10:30)
ここでお釈迦様は薬王菩薩に対し法師になるように説いているようです。
ところで、お釈迦様は別に法師功徳品第十九では常精進菩薩に対し法師の功徳を説いていますが、法師になるには何より精進が大事だということなのでしょう。
だから、法師とは勇気ある突進力よりも精進な努力が最も必要であることをお釈迦様は常精進菩薩への説法を通じて薬王菩薩にも伝えたいということなのかもしれません。
誰か特定な者だけへ教えたいとき、更にその者とは別な者を特定して教える説法はお釈迦様が得意としている教え方かもしれません。
なぜそのような手法を用いるのかはよく解かりませんが、直接当事者へ教えることが難しいと共に別な第三者に教える方が合理的と考えられるのかもしれません。
きっと宇宙の法則がそうなっているのかもしれません。