第1-21日 Vol.21  如來本領の大神力 【如來神力品第二十一】(一~五行)

法華経 如来神力品

 
■■第1-21日 Vol.21  
 
 如來本領の大神力
 
  【如來神力品第二十一】
  (一~五行)
 
■■今日の一偈一句
 
 ソ トキ  ゼカイミジンジュ ボサツマカサツ  ジ  ユジュツ モノ ミナブツゼン オイ  シン
 爾の時に千世界微塵等の菩薩摩訶薩の地より涌出せる者、皆佛前に於て一心に
 
 ガッショウソンゲン センゴウ  ホトケ モウ  モウ   セソン ワレラホトケ メツゴ セソンフンジンショ
 合掌し尊顔を瞻仰して、佛に白して言さく、世尊、我等佛の滅後、世尊分身所
 
 ザイ コクド メツドトコロ オイ  マサ ヒロ  キョウ ト     ユエ イカ   ワレラ 
 在の國土、滅度の處に於て、當に廣くこの経を説くべし。所以は何ん、我等も
 
 マタミズカコ シンジョウ ダイホウ エ  ジュジドクジュ ゲセツ ショシャ   コレ クヨウ  
 亦自ら是の眞淨の大法を得て、受持・讀誦し、解説・書寫して、之を供養せん
 
  ホッ
 と欲す。
 
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  1. 今 日 の 解 読 !  (苦)
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その時に千の世界中の微塵な砂の数ほど多くの菩薩摩訶薩集団であって地中より
 
涌き出た者たちは、皆釈迦の御前に於て一心に手を合わせ真剣な顔立ちで仰ぎ見
 
て、釈迦に誓いをささげた、世尊さま、我等は世尊の完全に平安な境地に入られ
 
るであろう後、世尊の分身佛の住む国土、即ち世尊の安住される地に於て、必ず
 
やこの経の意義を完成させてみせます。この決意は、我等さえもこの真に洗練さ
 
れた大法を得て、保持・読み記憶し、熟知・書き写して、これを心より奉らんと
 
願うがためであります。
 
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  2. 今 日 の 説 法 !  (集)
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この品題の如來神力品に関しまして前にもお話しましたが如來と題名の付く品は
如來寿量品第十六とこの品だけです。
また、佛であるのに神力とは何とも不思議なことだともお話しましたね。
とにかく何故に神力に拘るのでしょうか? 今日は再びそのお話についてから始
めたいと思います。
 
神力が佛の教えにとって重要である意味は、それは佛の中でも如來についての教
えが私たちの住むこの世の今に関して最も重大であるからです。
この世の今という意味は、この世の危機、つまり長いこの世の歴史の中で極めて
珍しい一大事にだけ如來はこの世へ一度だけ姿を現されるという事実があるから
であります。
 
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その一度だけの一大事に如來は神力を用いる佛として出現されるのです。
そこで、佛の十號として前にも説明しましたが、その十號の中に如來の名は入っ
ていない説を私は神秘であると信じます。
つまり、如來だけが神聖な神力であるように思えます。
 
ただし、神力とは通常の神様でもある諸天には常に備わっています。
また、この世の王や大臣・官僚といわれる者たちは特に中国では古くは天子と呼
ばれていた頃もあるそうです。
その天子は菩薩などと同様に諸天などの影響を多く受け、紛いなりにも神力を有
していると考えられます。
 
天とは宇宙と考えますと、天子とは宇宙の子です。いわゆる宇宙人のような存在
ですね。
ですから宇宙から舞い降りてきて、子供ですから宇宙をまだ完全には知っていな
いけれど宇宙人のようにこの世に遊びに来ているのかもしれませんね。
 
ですからこの世は宇宙の真実から見れば方便が真実として出来上がっている地球
上なのです。
というわけか、宇宙から見れば地球は実に青いのですね。
 
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たとえば地球上に於ても山の真実から遠くに海を見れば海は青い、逆に海の真実
から陸の山を遠くに見れば山は青いことと同じ現象です。
つまり、真実から方便を見れば青い、そして方便から真実を見れば、恐らく黒い
のかもしれませんね。
 
ただし、黒いのは前にも話した有な暗黒物質の影響かもしれません。
昼間の空が通常青いのは太陽に照らされた地球上の方便の拡散を内面から見てい
るのであり、昼間は宇宙まで見透かせてないためでしょう。
また、昼であっても空が暗く恐ろしくなるのは宇宙の有の真実が近づいてきてい
る状態にあるからではないかと私は思えてきます。
 
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  3. 今 日 の 謎 !   (滅)
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まず、今日の謎を整理して見ることにしましょう!
 
その謎1:ここでの地涌菩薩たちの請願は、法華経前半の迹門での数々の弟子達
     の請願の意味とほぼ同じことをしているのでしょうか?
 
その謎2:ここでの地涌菩薩たちへは如来の神力のことを教えているようですが、
     通常の佛法の知識は教えないのでしょうか?

 

 

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  4. 今 日 の 知 識 !  (道)
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ここで地涌菩薩が現れた從地涌出品第十五を振り返ってみましょう。
地涌菩薩たちは釈迦の号令に応じて準備が図られていたかのように娑婆世界の三
千大千の国土を震裂させると同時にその地中から涌出してきました。
 
その地涌菩薩たちは皆身が金色に荘厳された三十二相という神力を保有するよう
な見事な者たちですね。
そこで弥勒菩薩も言ってますが、この地涌菩薩たちはかつての釈迦の弟子達には
見られない豪華さだと怪しんで驚いているくらいです。
 
そこで、如來はただ菩薩のみを教化するということを覚えていますね。
ですから迹門の聲聞の弟子達へは如來としての教えではなく通常の佛としての教
えを説いていただけだとも理解できます。
 
仏の教えと如来の教えとは違うのであり、釈迦は本来如來としてこの世へ降り立
っていたことを悟って以来、本目的の菩薩への教化をこの如來神力品にて明確に
するつもりなのだと思います。
 
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ここで少し重要な事に触れておきます。
法華経という経典は釈迦が解明する以前からこの世に存在しており釈迦が新たに
創ったわけではないと以前にも説明しましたね。
ところが、不思議なことに法華経の内容のほとんどは釈迦が主人公のように活躍
して登場しているわけです。
 
この意味としては、法華経の行者モニターとして釈迦の活躍や功績が特に認めら
れ採用されたのでしょう。
つまり、古代から法華経というこの世へのレーダー誌があって永遠のベストセラ
ーとして密かに知られていたわけでありましょう。
 
まあ、古代には本も活字もなかったでしょうから、実際に釈迦自身が書き残した
記録物すら一切無いということらしいのです。
しかし概念としての本(品)は精神の中に宿っていたのでしょう。
 
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私は法華経の正体とはそもそも単に概念だと思います。
日蓮聖人が説いていたように法華経の真実は記載文字の底に秘されているという、
ただ「南無妙法蓮華経」の一語であるとしているように、ある性質そのものにそ
の時代時代の修行者の業績を掲載していった雑誌の真実であるかのように思える
のです。
 
ですから文字での掲載内容は雑種な者こそ真実であり、この世の行者のエントリ
ー記録だと思うのです。
釈迦の教えは一つの考えとして法華経に準じて達するものであるとして採り入れ
られたのであり、法華経そのものと釈迦の教えや指導、更には戦略は同じ方法で
はないのであります。
つまり、法華経は経典であり、釈迦の教えは法、つまり方法、即ち佛法なのです。
 
如來というものも釈迦だけでなく他にも如來はたくさん存在するのです。
その中での釈迦如来の法というのです。
釈迦は独自に地涌菩薩を釈迦の国土である娑婆世界の地中にて密かに修行させ育
ててきたのです。
 
ですから娑婆世界の地涌菩薩は釈迦の法の中に在るということなのです。
地涌菩薩たちは釈迦の法だけに忠実なのです。
しかし、地涌菩薩たちは召しだされたこの地上で法華経を説きたいと願い出まし
た。
その願いに対し釈迦がこの後どうするかは今後読んでいけばわかるわけで、実際
に如來としてではない法華経そのものを教化したのは迹門の声聞弟子たちへのこ
とだったと思えるのです。
 
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  5. 今 日 の 解 脱 !  (解)
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次第にわかってきましたでしょうか? 
そろそろ釈迦の如來としての本領を発揮する戦闘開始がこの品で始まろうとして
きているのではないかと思えてきませんか?
 
実は釈迦の大作戦がここには秘められているようです。つまり、地涌菩薩とは秘
密な戦闘要員だったように思えます。
なぜ戦闘が必要なのでしょう?
これは釈迦の実際に生きた時代背景をまざまざ物語っていると思えます。
 
釈迦の生きていた頃は紀元前6世紀、或いは4世紀といわれますが、日蓮聖人の
残した書記によれば、当時鎌倉時代は釈迦の末法の始まり頃といわれ、釈迦滅後
二千百七十一年に当たる西暦1222年に日蓮聖人は生れた、とあることにより
私は、釈迦の死亡は一応は紀元前949年2月15日だと思っています。
 
それにより単純に計算してみると、釈迦は80歳で亡くなられたということから
釈迦誕生は紀元前1029年4月8日だということになります。
そうすると現在西暦2014年は、釈迦生誕3043年目、そして滅後2963
年目であり、あと37年つまり西暦2051年に滅後3000年目になるという
概算です。  
 
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とりあえず、釈迦の生存した頃の時代背景はどのような情勢であったかを調べて
みますとたいへん興味深いのです。
まず、世界人口は憶測ではB.C.1000年頃からA.C.1年頃までの1000年間
が最も急増した時期であり、その間に5倍以上になったのです。
 
そしてこの時期は長く続いたエジプトなどのいわゆる文明といわれるものが滅び
出した頃であり、文明後の新たに世界主要な各地に国家や文化というものが起こ
ってきます。
それはかなり国家建設勢力の大戦争が続いた時期だったと考えられますね。
その戦いはまさしく過去の文明から新しい文化に変化していくことによる国造り
の岐路に生じた世俗社会と国家の神権政治との争いだったのでしょう。
 
ところで釈迦の故郷インドのインダス文明は釈迦が紀元前11世紀に誕生する2
00年前位には完全に滅亡しており、それ以降紀元前6世紀くらいまでは複数の
国王による戦争が続き、十六王という十六の王家が栄えたといわれるのが紀元前
6世紀頃らしいです。
 
この十六王とは化城諭品第七の十六王子ではないかとも思ってしまいますが、そ
の法華経の十六王子とはもっと遥か遠い古代の話ですから紀元前6世紀頃の十六
王とはその遠い歴史の繰り返しか、伝説の模倣による再現であったのではないで
しょうか。
 
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そもそも釈迦の生存した時期を紀元前6~4世紀くらいといわれている説とは、
現実のインドの王族の歴史に後から当てはめたようにも思えます。
実際は長かったのどかなインダス文明が終わって、そろそろ海上貿易などが盛ん
に気ぜわしくなり始めたのが紀元前10世紀頃な訳ですからその頃が一番現代世
界への草分け期の最初と考えられます。
 
当然釈迦は古き文明時代の良さは尊重した王様だったはずです。
しかし、その頃から西暦元年頃に向けての1000年くらいは国造りによる国家
や政治という新たな神格者、つまり我こそ神であるとする神権政治の勢いが高ま
りつつあったのです。
 
その頃の時代に釈迦の愛した国造りとは、それまでの自然が支配するのどかな文
明の社会であり世俗主義による国造りだったように思えます。
つまり、当時草分けの神権主義と世俗主義との戦いに釈迦は当然挑んだものと考
えられるのです。
 
因みに釈迦は法華経の中で西方には最も進んだ国で阿弥陀仏の住む安楽世界があ
り、現世に於て正しく生きた女人は来世にそこへ生まれてこれると説いています。
ところで、この西方の国とは何となく当時のエジプト王朝を意味すると思えませ
んか?
 
それほどに釈迦の世界的な征服力というものは現実のものであったのでしょう。
しかし、現代感覚から考えるから宇宙人のような計り知れない大魔力と思いがち
ですが、たとえばインドからエジプトまでの一般の人々の盛んな往来による交流
がなかったはずがありません。
 
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途中経路には今の状態を遥かに超える宿場町が永遠に連なって構えられ、馬車な
どで往来するのにインドからエジプトまでの距離は片道にして、日本縦断距離の
実はほんの1.5倍程度しかないのです。
それくらいの距離なら、荷物を担ぎゆっくり歩いて宿泊ながらでも3,4ヶ月で
悠々渡れたでしょうし、馬車なら1ヶ月もかけず十分渡れたはずなのです。
 
それくらいに情報や人種の移動はちょっと思いもよらないないほどに超スピーデ
ィだったはずです。 
 
なお、エジプト王朝は最も古く長く、なんと紀元前40世紀頃には始まり紀元前
1世紀まで続いたらしいですが、王朝最期のクレオパトラ7世が紀元前30年に
自殺することで完全に滅亡したのでした。
実にそれにより新たな西暦が始まったようなものですね。
 
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  6. 今 日 の 振 り 返 り !(脱)
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釈迦が生きた時代、遂に神と佛の戦いが始まりだした頃だったようですね。
インドはとても古くから天文学が進んでいた国であり、それにより理数学も進ん
でいて、0の発見はインドだったようですね。
インドは現実の将来の世界進歩に早くから目覚めていて、学術的な先見性により
宗教的な争いを最も好まなかったのでしょう。
 
戦いを好まないのにどんどん始まっていこうとする未来の戦争に対し、既に食い
止めは不可能と釈迦は判断していたのかもしれません。
人々の欲望もどんどん進んで生き、それらをどう解決するかの究極に出した答え
はやはり戦いであり、戦いこそを尊さと結論としたのではなかったでしょうか。
 
尊くなければ勝ち続けれない、永遠の勝利は如來にあるという結論の下に集結し
た菩薩集団は既に戦いを知らなかったインドの歴史を塗り替えていく希望を僅か
に与えていたのだと思います。
 
しかし、インドはいずれ他国からの国土侵略により典型的な奴隷国となっていっ
てしまいました。
これは釈迦の法としては恐らく上手くは行かなかったのではないかと思えます。
しかし、戦争に負けて屈辱に忍耐してこそ本当のインド国の取るべき法華経の真
実の道だったのかもしれません。
そして、その状態からの不屈な生きる望みと理想を与え続けていてくれたのはか
けがえのない釈迦の法、即ち戦法だったと思わざるを得ないのです。
 
今回もお読みいただき、誠にありがとうございました。
末永くご愛読いただけますよう、今後とも何とぞよろしくお願いいたします。
 
  (ぶっけん)


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コメント: 1
  • #1

    ぶっけん (木曜日, 21 5月 2015 01:08)

    『法華経にエントリーして採用された釈迦の戦法』