第1-3日 Vol.3  舎利弗の喜びと疑問 【比喩品第三】(一~四行)

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■■第1-3日
 
 舎利弗の喜びと疑問
  
  【比喩品第三】(一行~四行)
 
■■今日の一偈一句
 
 ソ トキ  シャリホツ ユヤク カンギ スナワ タ  ガッショウ ソンゲン センゴウ ホトケ モウ  モウ
 爾の時に舎利弗、踊躍歓喜して即ち起つて合掌し、尊顏を瞻仰して佛に白して言
 
    イマセソン シタガ        コ ホウオン キ  ココロ ユヤク イダ  ミゾウウ    
 さく、今世尊に從いたてまつりて、此の法音を聞いて心に踊躍を懷き、未曾有な
 
     エ    ユエ イカ  ワレムカシホトケ シタガ     カク ゴト ホウ キ モロモロ 
 ることを得たり。所以は何ん、我昔佛に從いたてまつりて是の如き法を聞き、諸
 
  ボサツ ジュキサブツ ミ      シカ ワレラ コ ジ アズカ
 の菩薩の受記作佛を見しかども、而も我等は斯の事に預らず。
 
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  1. 今 日 の 解 読 !  (苦)
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その時に舎利弗は、躍り上がるように歓喜して率直に起って合掌し、尊顏を仰ぎ見て佛に申し上げた、今世尊に従い奉りて、この佛の御声をお聞きし心が躍り上がることを覚えつつ、貴重なことを得ました。
 
それはなぜかです、私は古くから佛に従いながらこのような教えを聞き、諸々の菩薩への受記作佛を見てきましたが、一度も私たちはこの事に預ることはなかったのです。
 
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  2. 今 日 の 説 法 !  (集)
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前品の方便品第二において、舎利弗はやっとの思いで重要な説法を釈迦から説いていただいたので、この品にて喜んで感謝を述べだします。
 
前回でも少し説明いたしましたが、舎利弗は大阿羅漢の位にある声聞であり、釈迦の大弟子の多くはこういった声聞なのです。
 
「我昔佛に従い・・・」の我とは舎利弗が言っているのであり、釈迦ではありませんね。
舎利弗はここで、昔、佛に従いたてまつりて説法を聞いてきた際に、いつも数々の菩薩修行者が佛から成佛の受記(授記ではない)をされているところはよく見てきましたが、未だ我等声聞に対してはそういう事はなかった、と釈迦へ申し上げています。
 
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皆さんはどう思いますか?
舎利弗は前品の釈迦の特殊な説法に対して感謝を捧げようとしているのは明らかですよね。
しかし、舎利弗は声聞の身として昔ながらの菩薩との待遇の違いに関して釈迦に何とかして欲しい願いを上手く訴えているようにもとれます。
 
それがどうも厚かましいようで、自分ごとばかりに拘る舎利弗にも思え、再び釈迦の機嫌が崩れそうな気配すら感じるのです。
 
受記とは菩薩などが、修行の結果として佛から将来必ず佛になれるという確認版を押されることをいいます。
一種の将来に佛になれるという仮登録をしてもらえるということですね。
舎利弗がいうには昔から菩薩だけに受記が施されてきたが、声聞に対してはそのような儀式が僅かでもあったことがなかったと言っているわけです。
 
法華経以外の他の経典にも菩薩に対して記別、つまり成佛の段階を予め認めることはあったらしいです。しかし、菩薩でない声聞の位に将来成佛の予言を授けるのはこの法華経だけの特色らしいのです。
 
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  3. 今 日 の 謎 !   (滅)
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まず、今日の謎を整理して見ることにしましょう!
 
その謎1:声聞は受記は受けれないと知っている舎利弗が知識に厳格な
     釈迦に対してあらためてそれを問うたのは何故でしょう?
 
その謎2:受記を得れるかどうかの判断となる大乗と小乗の違いはなん
     でしょう?
 

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  4. 今 日 の 知 識 !  (道)
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釈迦の弟子の中でも知恵第一と称せられた舎利弗ですが、全巻を通して読むと菩薩と
いわれる修行者の知恵には到底足元にも及ばないように思えます。
例えば、序品にすでに登場している文殊師利という菩薩は全巻通じて釈迦の相談役と
いってよいほどの側近のような形でとても多く登場しています。
 
文殊の知恵というだけあって、相当高い知性をもっている菩薩だと思いますね。
ですから舎利弗が知恵第一といわれていても、それを遥か超える知恵がある文殊師利
菩薩が声聞弟子の舎利弗以上に釈迦と近い悟りにあるようです。
 
ところで、てっきり釈迦との相談役の文殊師利が釈迦の一番弟子であろうと考えがち
ですが、どうやら舎利弗が知恵第一というのは声聞弟子中で第一の知恵者ということ
のように思えます。
 
ですから文殊師利が知恵の代表格のようであっても菩薩界でのエリートということで
あり、釈迦の直接の弟子の立場ではないようであることが理解できそうなのです。
 
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大乗仏教とは法華経にピタリ主旨があっている教えをいうと思います。
釈迦が法華経のすべてを悟る以前にも別な佛が古くから法華経のことを大乗経と称し
て重大な経の一つとして大切に扱ってきていました。
 
しかし、釈迦以外では法華経を完全に解き明かした佛はかつて居なかったようです。
そこで、かつての佛は計り知れないほど長い間、法華経の謎と取り組み、法華経に至
るであろう知識を幾つか予測解明しながら信者達に教えてきたのでした。
 
釈迦も当然、年老いて完全な悟りを得るまでは従来の佛と同じ想定上の知識や法華経
とは別な経を弟子達に説いて引導していたのです。
小乗である声聞がそのまま釈迦の弟子であるということは大乗を釈迦がどんなに心が
けていても実際は弟子達にとっては小乗の知識の域から離れることができなかったこ
とが伺えるのです。
 
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  5. 今 日 の 解 脱 !  (悟)
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さて、この品での舎利弗の本当の言いたいことをうかがい知るのは相当に難解だと思
います。
ヒントは前品にもちろんあると思うのですが、前品で釈迦は舎利弗に対し厳しく理解
しようとするなと忠告しているのです。
 
何故なのかその意味は難しくとも、舎利弗自身は釈迦に言われたとおりに菩薩ではな
い声聞の位に於て理解できることではないことに対し素直さを示し反論するべきでは
ないことは十分心得ているはずです。
 
ですからよ~く考えてみると、「諸の菩薩の受記作佛を見しかども、而も我等は斯の
事に預らず。」とは、釈迦が声聞には受記してくれなかったという事実をそのまま述
べているのではなく、舎利弗たち声聞集団は受記を欲しがりませんでした、と声聞自
らの正統さを示していると考えることが正解だと思います。
 
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しかし、舎利弗は未だ何か悩み深くなっているのです。その悩みを釈迦へ知ってもら
いたい気持がこの品に現れていると思います。
その悩みとは何でしょう? これもよ~く考えると、どうやら舎利弗たち声聞の世界
では小乗で十分で、菩薩になる気持ちは元々なかったのです。
 
ですから今の状態では声聞が菩薩になる考えも何もない、現状は小乗の身のままに釈
迦が小乗を説いていたから弟子として修行してきたのでした。
その釈迦が今、如来であったとして大乗を説かれることはもうとう声聞の立場として
は教えの種類が異なることを嘆いているのではないでしょうか。
 
法華経はわかり難い、不親切な表現ばかりだと感じられるのではないでしょうか? 
そのことは読めば読むほどに実に怪文書であることがわかります。それだけに難儀難
入な努力そのものが描かれているはずです。

全巻通じて釈迦はこの経は一偈一句でも読めば報われるということを再三に述べてい
ます。それだけ努力が積まれたお経だけにほんの目にするだけでも功徳が必ず生ずる
ということなのでしょう。
 
わかるわからないではありません。わかろうとする努力が釈迦が実際に行なってきた
努力の力と必ず通じ合えるのです。
 
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  6. 今 日 の 振 り 返 り !(脱)
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3日目の今日の説法はいかがでしたか?これで三日坊主だ、明日からはもう何もしな
くていいと思ったら、ほんとにお坊さんになってしまうかもしれませんね!
 
お坊さんは毎日お寺に居て僅かでも仏事のことにあやかっていられるのですから案外
正しく生きるのは容易いでしょう。
私たちも毎日を継続して正しく生き抜くためには毎日のように仏事に関わる環境を持
たなければなりません。
 
私は以前、仏教の時間と日常の時間とを区分するのが通常だろうと考えていました。
しかし、法華経とは解読するものだと知覚することにより、こんなに楽しく円滑な日
常性があったのかと、その未知なる謎の発見に驚きました。
そして、もう死ぬまで法華経漬けになっていない1分1秒たりの時間すらもったいな
いと思うようになりました。
 
こんなに次から次へと知恵の湧く一生涯は決して無駄にできない限られた時間であり、
目一杯使って解明を進むだけ進まなければ人の人生はないとまで思えました。
 
何事も正しいことをこちらから求めていくことは難儀なことです。
しかし、少しずつでいいのです、その少しの難儀なこともそれがもし本当の真実の正
しい事柄に対するものであれば、確実な功徳を得ることになるのですから。
 
何事も真実の正しさに会える事こそが確かな功徳を生ずる始まりです。
 
今回も読んでいただき、誠にありがとうございました。
末永くご愛読いただけますよう、今後とも何とぞよろしくお願いいたします。
   
   (ぶっけん)

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