第1-2日 Vol.2  諸仏の知恵は難解難入なり 【方便品第二】 (一~五行)

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■■第1-2日
   
 諸仏の知恵は難解難入なり
  

  【方便品第二】(一行~五行)
 
■■今日の一偈一句
 
 ソ トキ  セソン  マイ  アンジョウ  タ    シャリホツ ツ      ショブツ チエ 
 爾の時に世尊、三昧より安詳として起つて、舎利弗に告げたまわく、諸佛の智慧
 
 ジンジンムリョウ   ソ  チエ モン ナンゲナンニュウ    サイ ショウモンビャクシブツ シ   
 は甚深無量なり。其の智慧の門は難解難入なり。一切の聲聞・辟支佛の知ること
 
 アタ   トコロ   ユエ  イカ ホトケカツ   マンノクムシュ ショブツ シンゴン  ツ   ショ 
 能わざる所なり。所以は何ん、佛曾て百千萬億無數の諸佛に親近し、盡くして諸
 
 ブツムリョウ ドウホウギョウ ユウミョウショウジン ミョウショウアマネ キ       ジンジンミゾウウ
 佛の無量の道法を行じ、勇猛精進して、名稱普く聞こえたまえり。甚深未曾有の 
  

 ホウジョウジュ   ヨロ   シタガ ト    トコロ イシュサト ガタ
 法を成就して、宜しきに随つて説きたもう所、意趣解り難し。
 
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  1. 今 日 の 解 読 !  (苦)
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その時に世尊、瞑想から安らかに立ち上がり、舎利弗(梵名:シャーリ・プトラ)に 告げられた、諸仏の知恵は甚だに深いものでありほとんどはかり知れないものだ。

  

の知恵の門すら知り難く入り難いものだ。この世のすべての声聞や辟支仏の理解することのできない境地なのだ。

  

なぜそう言うのか、仏(釈迦自身の前世)はかつて百・千・万・億の無数の諸仏に親近し、身を尽くして諸仏の無量の道法を修行し、勇猛に精進して、その名はあまねく知れ渡ったものだ。

  

たいへん貴重な法を達成した上に、その人その人の身になってまで説いてきたものの、その意味は解かりづらかったのだ。
   
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  2. 今 日 の 説 法 !  (集)
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この品の始まりは「爾の時(その時)に・・」となっていますね。
この始まり方は、今後の品を見てもらうとわかりますがほとんどの品において「爾の時に・・」と同じような始まり方をしているのです。
 
これは、その時に、と同様な言い方でつなげていくことにより前品の状態からそのまま次の品に続いているということであり、同じ時点、同じ時期の連続を同じ語り手の阿難がこの法華経全巻通じて一貫しているという意味です。
 
さて、この品の一番最初に釈迦は大弟子の舎利弗に対し、佛の知恵はたいへん深いところにあり、その知恵の門を開くことは最も難解難入なのであり、どんな声聞・辟支佛クラスの高度な修行者であっても知ることのできない難しさであるということを強調して前置きのように植えつけているのは不思議ですね。
 
これは前品との話のつながりということで、何か事前に釈迦が落胆するような出来事でも生じていることを知らせたいかのような気配ですね。
 
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ところで、後日にも詳しく説明しますが、実は前品の序品第一は法華経の編纂上、後で付け加えられたものなのです。
ですから当初の法華経はこの方便品が法華経全巻の最初の始まりの第一品だったのです。
 
この法華経は釈迦の解いた経典の中で一番重要で、かつ釈迦が最終的に悟りに至れたといわれるものなのです。
それにしてもその一番大事な教えが方便、すなわちウソも方便についての始まり方ということに誰もが呆気にとられそうですね。
 
一体どうなっているんだ? よく知らないからと、軽く馬鹿にするのはいい加減にしてくれっ!とでもいいたくなりますよね。
 
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皆さん、ここで少し冷静になって考えてみましょう。釈迦は、前もって舎利弗に仏の知恵はそう簡単なものではないとして、佛つまり釈迦自身がかつて無数の諸仏に信頼を受けながら身の終わるような苦行を勇猛に精進してきて、そのゆえに多くの人々に信頼され、その釈迦の名は広まったといっています。
 
しかし、それくらいに完全な救済者として有名に釈迦がなっているにも関わらず一人一人にわかりやすく説いてあげても、理解にまで至らせることはなかなか難しいことは明らかであるから諦めろと舎利弗に本音を打ち明けているのです。
 
どうやら、相当強烈なネックになるものが生じていて、その事への解決策の始まりのようですね。
つまり、そのネックとは一体何かを探ることが釈迦の最高の教えの意味を理解するこの法華経の特別な狙いのようであります。
 
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  3. 今 日 の 謎 !   (滅)
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まず、今日の謎を整理して見ることにしましょう!
   
その謎1:一切を救う釈迦らしい教えを釈迦はしっかり説こうとしない
     のは何故なのでしょう?
   
その謎2:声聞や辟支佛とは何のことでしょう?
   

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  4. 今 日 の 知 識 !  (道)
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まず最初に声聞や辟支佛について説明しておきましょう。
私たちの住むこの人間世界には十種類の世界、つまり十界が備わっているといわれて
います。
 
その十界とは、1.地獄界 2.餓鬼界 3.畜生界 4.修羅界 5.人間界 6.天上界 7.
声聞界 8.縁覚界 9.菩薩界 10.佛界 があるのです。
 
つまり、上の界に行けば行くほど恵まれる各々の境界、境遇の世界です。私たちはど
れかの界に縁あって暮らしています。
生まれつきの前世、或いは生きている現世のうちに変わって行くことがあります。
 
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このうち、弟子の中で知恵第一の舎利弗は、声聞界の位にある修行者なのです。
なお、古くから釈迦をはじめ様々な佛がこの私たちに教えを普及させようとして、入
らせようとしている目標は菩薩界です。
 
それに対し声聞や縁覚という位は、賢く知識習得に非常に熱心なのですが、独善的で
あり集団倫理に向かず利他の心がけがない境遇といわれているのです。
いわゆる法華経などの大乗仏教に対して、了見が狭く簡単に入れそうな小乗仏教の側
に甘んずる修行法を得た者を声聞・縁覚といわれています。
 
とかく先進的な仏教界としては大乗を心得る菩薩だけへの教化指導にとどまり、自己
本位な声聞・縁覚に対しては指導をせず、無視をしておく傾向にあったといわれてい
ます。
 
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そのように声聞・縁覚はたいへん嫌われており、釈迦以前の佛の時代では、声聞は成
佛はできないとさえされていました。
しかし、釈迦が法華経を解き明かすことにより初めて声聞修行者も成佛ができること
が明かされたのです。
つまり、法華経以外の経典にも菩薩への成仏授記は書かれてはいましたが、声聞の成
仏授記も説いたのは法華経だけだったのです。
 
尚、辟支佛という位は縁覚の位と同じと思ってよいと思います。それにしても舎利弗
の弗の字は何故通常の佛のような人偏がありませんよね。
また、舎利とは遺骨を意味するのです。なんだかこの舎利弗の存在は特別の意味があ
るようで不気味なのです。
そして、舎利弗はこの品で初めて登場してますが実は序品第一の初めの弟子達の名を
連ねている中に舎利弗の名は大阿羅漢の一人として記されています。
 
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その阿羅漢とは、声聞や縁覚が憧れて目指す最高の理想の地位なのであります。
しかし、仏教には大乗経と小乗経とに区分されていまして、大乗経とは主に法華経な
どの釈迦が最終的に説いたお経をいい、小乗経とは釈迦が法華経をまだ悟らなかった
頃の教えで四諦・十二因縁など釈迦より古い仏様がよく説いていた教えのことです。
 
その小乗経に属するのが阿羅漢といい、僧や住職のような特別に他人に手厚く世話を
施されるに値する立場なのです。
つまり、阿羅漢とは他人の修行者からチヤホヤされ、よい待遇を受けることが保障さ
れたお金持と同じ位だったため、声聞・縁覚の目指すコースとして人気があり理想な
立場だったのです。

 
なお、菩薩とは、基本的に大乗を目指す修行者や僧でありまして、大乗コースと小乗
コースの選択の違いは現代にもあり、菩薩と阿羅漢とは明確に区分されていることが
判断として現代に於ても重要です。
 
また、阿羅漢になるためには声聞や縁覚のコースである必要があるようですが、菩薩
になるための条件は特に無くただ強い信念と覚悟次第なのです。
 
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さて、本題の釈迦らしくない始まり方への疑問についてですが、これを正確に解ける
人は恐らく少ないと思います。
この解明のヒントは「宜しきに随って説きたもう所」の意味にあります。
宜しきに随ってとは、相手の気持ちに合わせて、という意味です。
 
また、所とは場合という意味とともに部分という意味でもあると考えられますね。
即ち、所を部分としてみれば、相手の気持に合わせて説く部分になりますね。
 
そして、その部分の意味が解り難いとなるのです。つまり、簡単に解釈すれば、釈迦
は相手の気持になって説法して意味を伝えることはとても難しいと教えているのです。
何だか、ややこしい外国語に対する日本翻訳みたいですね。
 
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  5. 今 日 の 解 脱 !  (解)
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どうでしょうか? 相手の気持になって教えることが難しいという釈迦の教えは、釈
迦自身にとっても舎利弗にとっても難しいのだと考えても意味が通るようですね。
 
実はこの宜しきに随って説くというのは一つの説法の方法であって方便説法という手
法なのです。
つまり、相手の気持に合わせて言葉を選んだり例え話を用いる説法であるから方便説
法というのです。
 
実に当初の法華経はこの方便説法の難しさがネックであるからどうしたものかという
先行きの難題を思わせるシーンから始まっているようです。
ですからこの仏法でいう方便とはどういうもので、仏法上どうしようとしているのか
を理解できれば大した者です。
 
また、この方便が一体どうであるのかが法華経のメインテーマであるといえるでしょ
う。
 
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話は少し変わりますが、釈迦の法華経の教えは最初のインドからいずれ中国へ渡り、
現代の法華経自体の教本として総合的に編纂しまとめたのは中国なのです。
ですからこの法華経は釈迦の実際の功績をそのまま書き写したというより中国として
の脚色が加わった脚本性あるイメージで編纂されたとも思えるのです。
 
いわゆる実在した釈迦の教えをテーマにした物語や小説のようにシナリオ風に解読さ
せるように仕立てられていると考えても良いと思います。
その点が他の経典と比較して異色な所なのです。
 
ですから私は法華経は雑誌感覚で読むことで気がほぐれ、最も自然体な精神状態を尊
ぶようにできているものだと思うのです。
その点、読み初めから脚本のように創作ぽく感じるために、本当の釈迦の教えではな
いと疑う仏教信者も多いわけで、誰もが法華経を理解して信じているわけではないの
ですよ。
 
そういう神妙な秘密タッチで描かれた、たまたま手にとって読んだ者にとっても、と
てもステキな経典なのです。
 
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  6. 今 日 の 振 り 返 り !(脱)
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方便なんて真っ平ごめんとなりそうですが心配しないでくださいんね、
これは驚かしの方便なのですから。釈迦が教えを説きたくないのは、実はこの方便な
のです。
法華経全体からしますと釈迦は、一生懸命、この方便説法は古いと説得しているので
すが小乗の声聞の弟子達は以前から伝え尽くされている通常の仏の教えを大事にした
がるのです。
 
するな!ということをあえてする子供がいますね。ですから釈迦は今でもてこずって、
いつまでも教えが伝わらないと嘆いているようです。
   
今回も読んでいただき、誠にありがとうございました。
末永くご愛読いただけますよう、今後とも何とぞよろしくお願いいたします。
 (ぶっけん)
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